美ヶ原高原のシンボルともなっている「美しの塔」は、昭和29年10月30日に完成。美ヶ原には明治42年から放牧が始まり、昭和になると山本俊一が山本小屋を創業、戦後、登山ブームで多くの登山者が登るようになり、霧の中で道に迷う人も多かったため、鐘を鳴らして場所を伝える霧鐘塔と避難所を兼ねた美しの塔が建設されました。
登山者に方向を伝える霧鐘塔を下げる塔
素材は、美ヶ原で産する鉄平石を使用。
美しの塔の建設時は、車道(ビーナスライン)もなかった時代で、資材はすべて山麓の三城牧場側から歩荷(ぼっか)仕事で背負いあげ、コンクリートを固める水も山本小屋から天秤棒で担いだと記録されています。
塔の台座には山本俊一の金の入れ歯が埋められた記録がありますが、登山道を開削、2000本の道標を設置するなど山本俊一の尽力があったことで、美ヶ原が観光的に大いに発展したのです。
塔の南面には美ヶ原を愛した自然詩人・尾崎喜八の『美ガ原溶岩台地』が、北側には山本俊一の顔のレリーフが埋め込まれています。
遭難者が続出したために建立とされていますが、実際の遭難事件での死者は冬季に限定されるので、あくまで霧の中で道に迷い、なんとか山本小屋にたどり着くような人が多かったということに。
山本俊一が建てた山本小屋は、「美ヶ原高原ホテル山本小屋」(全室個室、完全予約制)となり、高原探索の基地となっています(霧雪期は松本駅前から、積雪期は下諏訪駅前から送迎)。
美ヶ原は、今から200万年ほど前に噴火した溶岩が冷えて固まった溶岩台地で、山上は平坦な高原状ですが、周囲は断崖となっていて美しの塔にも刻まれた尾崎喜八の『美ガ原溶岩台地』が上手く描写しています(三城牧場から美ヶ原高原へ至る百曲り登山道を登ったときの詩です)。
尾崎喜八『美ガ原溶岩台地』
登りついて不意にひらけた眼前の風景に
しばし世界の天井が抜けたかと思う。
やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら、
この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。
無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、
この風景の情緒はただ身にしみるように本原的で、
尋常の尺度にはまるで桁が外れている。
10月30日は、美ヶ原に「美しの塔」が誕生した日 | |
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