日本最東端の地は、北海道根室市の納沙布岬であることはかなり有名ですが、では、「本州最東端の地は、どこ?」と聞かれて、答えられる人は少ないはず。日本の最北・南・東・西端、本州の最北・南・東・西端のうち、もっとも「到達困難」なのが、本州最東端の地、魹ヶ崎(とどがさき)です。
駐車場から熊の出没する山道を3.8km歩いて到達!
本州最東端というと犬吠埼を思い浮かべる人も多いかと思いますが、犬吠埼はあくまでも関東の最東端。
本州最東端は、岩手県宮古市、重茂半島の先端にある魹ヶ崎です。
魹ヶ崎という名の通り、かつてはトド、アザラシなどの海獣が群遊した海岸線で、明治35年3月に初点灯、昭和25年6月に修築の魹ヶ埼灯台が建っています。
周辺の岩場は1億3000万年前(中生代前期白亜紀)に広く北上山地で起こった火山活動の産物ということで、三陸ジオパークのジオサイトにもなっています。
平成8年3月までは職員常駐の有人灯台で(平成8年4月〜無人化)、三陸沖を通って北海道へ、関東へと航海する船にとっては、重要な目印でした。
映画『喜びも悲しみも幾年月』は、灯台守・田中績(たなかいさお)の妻・田中きよの手記がベースです。
映画には登場していませんが、この魹ヶ埼灯台の官舎で昭和8年(田中績さんが24歳のとき灯台守の初任地として自ら希望して赴任)〜昭和15年と昭和32年〜昭和44年の二度にわたり、合計19年間夫婦で灯台を守っているのです。
当時「最も不便な場所」と言われたこの灯台でした。灯台職員として最初の勤務地が魹ヶ崎で、戦前はまさに陸の孤島でした。
二度目の勤務は戦後に所長として赴任し、家族は宮古市内で暮らし、職員は1週間交代で灯台に詰めていました。
そんな『喜びも悲しみも幾年月』ということもあって、灯台近く岩にはめ込んだ銅板にある「本州最東端の碑」の文字は、田中きよさんの筆です。
灯台守も大変だったことが偲ばれるのが、灯台までのアプローチ。
起点となる姉吉キャンプ場(車道終点)から「みちのく潮風トレイル」で片道3.8 km、1時間10分ほど、森の中を歩く必要があります。
熊が出没するため、熊対策も必要です。
姉吉バス停(岩手県北バス重茂線)からならさらに20分プラスとなりますが、バスは本数が少ないため、利用価値はあまりありません。
(一社)宮古観光文化交流協会作成の「本州最東端証明書」は、宮古駅前総合観光案内所、浄土ヶ浜レストハウスなどで販売されています。
「みちのく潮風トレイル指定宿」の「民宿おとべ荘」など、地元の宿に泊まって足を伸ばすのもおすすめです。
意外に知らない! 本州最東端の地、しかも到達はなかなか困難! | |
所在地 | 岩手県宮古市重茂第9地割大平 |
場所 | 本州最東端の地 |
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