日本初のカーフェリーは昭和9年に就航した若戸渡船ですが(日本初のカーフェリーは、若戸渡船参照)、2階に操舵室を設け、1階デッキに車と人が混乗する43tの小型船でした。貨物自動車を積載できるという本格的なカーフェリーは、昭和19年に就航した西桜島村営の「櫻島丸」で、現在の桜島フェリーです。
木造のポンポン船ながら、貨物自動車3台を積載可能
桜島は大正3年の大正大噴火で、大量の溶岩流が東西に流出、海を埋め立てたことで大隅半島と陸続きとなりましたが、不便な交通環境は改善していませんでした。
桜島航路は、西桜島村(後の桜島町、現在は鹿児島市の一部に)が公営事業で、昭和5年に村の産業組合が始めたものですが、このとき就航した「昭和丸」は単なる貨客船。
しかも民間の船が14隻も運航していたこともあって客取り合戦も行なわれたとか(島を一周する道路もなく、島民の主たる交通手段は船という時代です)。
それでも桜島噴火時の際の退避手段としても有効な公共交通機関の誕生で、昭和9年12月1日には村営の船舶事業が本格化しています(発着時刻、運賃を定め、白浜〜鹿児島、赤生原〜鹿児島に運航)。
昭和14年に海岸線道路が完成し、村営バスが運航されると、バスとの連絡も実現。
こうして昭和16年、貨物自動車を積載できる「櫻島丸」を建造、戦時下の昭和19年7月、鹿児島港、桜島袴腰港(袴腰海岸を埋め立てて岸壁を整備)の接岸する港湾整備が完成し、西桜島村営船の自動車運送事業が始まりました。
「櫻島丸」は、113.1t、全長25m、旅客定員170名、貨物自動車3台が積載できるという本格的なカーフェリーで、日本のカーフェリーの幕開けともいえます。
とはいえ、外見は貨客船、遠くから見ると大型の漁船のような感じで、まだ木造船でした。
動力は焼玉エンジンで、120馬力、いわゆる「ポンポン船」です。
初の鋼船となったのは、昭和35年就航の「第六櫻島丸」(495.6t、全長48.8m、大型バス10台積載)で、背景には戦後最初の観光ブームがありました。
現在では1000tクラスのフェリーですが当時は比較的に小型の船だったことがわかります。
昭和21年に昭和の大噴火が発生、昭和20年代後半から観光客が増加すると、昭和29年に西桜島村営の観光バス(貸切バス)の運行を開始。
昭和59年には桜島フェリーの24時間運航が始まっています(24時間運航は令和7年10月に終了)。
平成16年、桜島町(旧西桜島村)が鹿児島市に合併し、以降は鹿児島市営フェリー(鹿児島市船舶局)となっています。
日本初の本格的なカーフェリーは、桜島フェリー | |
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