『日本三大花火大会』は、『全国花火競技大会』(大仙市)、『土浦全国花火競技大会』(土浦市)、『長岡まつり大花火大会』(長岡市)ですが、『日本三大花火』は、江戸時代に国内で有名で大規模な花火大会を3つ選んだもの。常陸国(茨城県)・水戸の花火、甲斐国(山梨県)・市川の花火、そして花火のルーツ三河国(愛知県)の吉田の花火です。
水戸の花火|常陸国(茨城県)
開催した藩:水戸藩
伝統を受け継ぐ現在の大会:なし(不明)
内容:江戸時代初期、有力諸藩の砲術師たちが、火薬を平和利用して花火を打ち上げ始め、
信州・松本の出の野村為重が水戸で野村花火を創業したのは、明治8年です
水戸の花火に関しては正確な記録がなく、定かでありませんが、寛政11年(1799年)、藩主・徳川治保(とくがわはるもり)は城下振興策を実施しているので、その際に花火が打ち上げられたのかもしれません
市川の花火|甲斐国(山梨県)
開催した藩:甲府藩
伝統を受け継ぐ現在の大会:神明の花火大会
内容:甲斐国の花火の歴史は、武田信玄が戦に用いた狼煙(のろし)に始まるといわれていますが、戦国時代となり市川大門地区は武田氏の軍事用狼煙の生産地となり、平安時代末に京から来た紙漉き名人・甚左衛門がもたらした和紙の技術を花火生産に活かしたのです
和紙でできた半球に火薬を詰めるため、花火と和紙は欠かせない関係だったのです
市川大門は和紙の産地で、紙工・甚左衛門が没した際に、生前の功績を称え、紙の神を祀る神明社(しんめいしゃ)に祀り、江戸時代になって祭礼の際に花火を打ち上げました
正徳元年(1711年)、『市川大門神明の花火』の記録が残されています
吉田の花火|三河国(愛知県)
開催した藩:三河吉田藩
伝統を受け継ぐ現在の大会:豊橋祇園祭
内容:徳川幕府によって唯一、火薬の製造・貯蔵を公式に許可されていたのが、家康の出身地・岡崎を含む三河国(愛知県東部)
なかでも遠州国(静岡県西部)と接する吉田藩(現在の愛知県豊橋市周辺)は、手筒花火が盛んで、江戸時代初期には『吉田天王祭花火』で手筒花火が披露されるのが定番となっていました
日本三大花火とは!? | |
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