築城当初のわずかな間だけあったとされるのが福岡城の天守台。大天守台は東西25m、南北22mという巨大なもので、東側に中天守台と小天守台が連なっています。天守台周辺から瓦が発掘されていることから天守が建っていたことは確実ですが、正保の城絵図には描かれていないので、徳川幕府への配慮から取り壊されたと推測できます。
江戸時代初期にだけ、天守が建っていた!?
大天守台跡には天守閣の柱を立てたと推測できる40個の礎石がきれいに並んでいます。
5重6階、高さおよそ70余尺(23m~24mほど)の天守が聳えていたと想像されています。
この天守や石垣を築いたのは、黒田二十四騎の一人、野口一成(のぐちかずしげ)です。
野口一成(のぐちかずしげ)
福岡城の普請奉行だった野口一成は、黒田二十四騎の一人で障子ヶ岳城を槍一本で抑えたなどの武勇伝の主。
父は、教信寺の僧・浄金で軍師として名高いは黒田孝高の囲碁仲間だったとか。
野口一成は、関ヶ原の合戦で左側だけ傷を負ったので佐助という呼び名に。
謙信流の使い手であるほか、城造りでは石積みの名人でもあり、現在ある美しい石積みは野口佐助の技術の反映といわれています。
1606(慶長11)年の江戸城天下普請の際には、母里友信とともに天守台の石垣を担当しています。
父は、教信寺の僧・浄金で軍師として名高いは黒田孝高の囲碁仲間だったとか。
野口一成は、関ヶ原の合戦で左側だけ傷を負ったので佐助という呼び名に。
謙信流の使い手であるほか、城造りでは石積みの名人でもあり、現在ある美しい石積みは野口佐助の技術の反映といわれています。
1606(慶長11)年の江戸城天下普請の際には、母里友信とともに天守台の石垣を担当しています。
福岡城・天守台 | |
名称 | 福岡城・天守台/ふくおかじょう・てんしゅだい |
所在地 | 福岡県福岡市中央区城内 |
関連HP | 福岡市公式ホームページ 福岡城むかし探訪館公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄空港線赤坂駅または大壕公園駅から徒歩8分。天神バスセンターから西鉄バス西浜・姪ノ浜行きで4分、大手門下車、徒歩2分 |
ドライブで | 福岡都市高速西公園ランプから約2.8km。または、天神北ランプから約3.3kmで舞鶴公園第2駐車場 |
駐車場 | 舞鶴公園第1駐車場(69台/有料)・舞鶴公園第2駐車場(72台/有料) |
問い合わせ | 福岡市経済観光文化局文化財部文化財保護課 TEL:092-711-4666/FAX:092-733-5537 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
取材・画像協力/福岡市
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