福岡県柳川市矢留町の矢留大神宮(やどめだいじんぐう)に隣接する0.2haの公園が白秋詩碑苑。昭和16年に作られた北原白秋最後の思郷の詩『帰去来』(ききょらい)が刻まれた詩碑が立ち、毎年1月25日に『白秋生誕祭』、忌日の11月2日に行なわれる『白秋祭』の式典会場にもなっています。
『帰去来』の詩文が刻まれた詩碑が立つ
北原白秋の『帰去来』の詩文「山門(やまと)は我(わ)が産土(うぶすな)・・・」が刻まれた詩碑が立つ白秋詩碑苑。
帰去来は、陶淵明の「帰去来辞」の「帰去来兮、田園将レ蕪、胡不レ帰」に由来し、「帰りなんいざ」、「さあ帰ろう」と自らを促す意がある言葉。
昭和3年、大阪朝日新聞社の「天を翔る」という企画で、北原白秋は当時では珍しい飛行機(ドルニエ・メルクール機)で故郷・柳川を上空から眺め、母校の矢留小学校では児童たちが『待ちぼうけ』を歌って出迎え、大歓迎を受けます。
実は北原白秋は、父親に黙って上京して以来、20年間、故郷の土地を踏んでいなかったのです。
『帰去来』は、この昭和3年の帰郷を思い浮かべて昭和16年、最後の帰省の際に作詞されたもので、ほとんど視力を失った死の前年(昭和17年11月2日没)の作品です。
昭和23年に全国から寄せられた浄財で建立されたもので、北原白秋の童謡『からたちの花』にちなみ、からたちの生垣に囲まれてています。
刻まれた文字は白秋と親しかった版画家・装幀家の恩地孝四郎(おんちこうしろう)の筆。
白秋詩碑苑にも藤棚もあり、例年4月上旬~5月上旬に開花。
白秋詩碑苑近くにある母校・矢留小学校の校歌も北原白秋の作詞。
北原白秋生家、北原白秋記念館から白秋詩碑苑へは徒歩3分ほど。
北原白秋『帰去来』
山門(やまと)は我(わ)が産土(うぶすな)、
雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、
飛ばまし、今一度(いまひとたび)。
筑紫よ、かく呼ばへば 戀(こ)ほしよ潮の落差、
火照沁む夕日の潟。
盲(し)ふるに、早やもこの眼、 見ざらむ、また葦かび、
籠飼(ろうげ)や水かげろふ。
帰らなむ、いざ鵲(かささぎ) かの空や櫨(はじ)のたむろ、
待つらむぞ今一度(いまひとたび)。
故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ。
白秋詩碑苑 | |
名称 | 白秋詩碑苑/はくしゅうしひえん |
所在地 | 福岡県柳川市矢留本町26-1 |
電車・バスで | 西鉄柳川駅から西鉄バスで御花前、または、水天宮入口下車、徒歩7分 |
ドライブで | 九州自動車道みやま柳川ICから約12.3km |
駐車場 | 5台/無料、柳川市白秋観光駐車場(40台/有料) |
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