福岡県福岡市博多区、博多駅近くにある臨済宗東福寺派の古刹、承天寺(じょうてんじ)。仁治3年(1242年)、南宋出身の貿易商・謝国明が、南宋へ留学した聖一国師(円爾弁円)を開山として創建、日宋貿易に関わった寺で、境内には饂飩蕎麦発祥之地の碑(うどんそばはっしょうのちのいしぶみ)も立っています。
日宋貿易に携わった博多綱首・謝国明が創建
鎌倉時代の中頃、博多の唐房に住み、日宋貿易に携わった博多綱首(はかたごうしゅ/綱首=貿易商人)の代表格が、謝国明(しゃこくめい/平成13年のNHK大河ドラマ『北条時宗』では、北大路欣也が熱演、北条家とモンゴルとの交渉を仲介する役として描かれています)が、南宋の仏教文化を移入して創建。
円爾(えんに=聖一国師)は、駿河国安倍郡栃沢(現・静岡市葵区)出身で、留学先の南宋・径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)の住職・無準師範(ぶじゅんしはん)に学び、日本に最先端の文化をもたらしています。
円爾が博多湊に降り立った際、博多では疫病が流行、博多商人に担がれた施餓鬼棚の上に円爾が乗り、水を撒きながら疫病退散を祈祷したのが有名な『博多祇園山笠』の始まりとも伝えられます(博多山笠発祥之地の碑が立っています)。
そのため、『博多祇園山笠』の追い山は、櫛田神社から承天寺へと向かうのです。
謝国明は、筥崎宮の社領の一部を買い取り、承天寺に寄進し、その経済的基盤を固めてもいます。
現在では、広大な寺域が区画整理事業によって、山門や仏殿は市道の南、本堂や墓地は北に分断されています。
方丈(本堂)前の庭園は、玄界灘を表現した白砂、中国大陸を表現した緑がある枯山水の庭園ですが通常は非公開になっています。
うどん・そば・羊羹・饅頭発祥の寺
円爾(聖一国師)が修行した寺のある径山は、13世紀頃、世界最大の都市で、円爾が日本にもたらしたものは、うどん、そば、羊羹(ようかん)、饅頭(まんじゅう)などの製法があります。
うどん、そばに関しては、「水磨」(水車)による製粉技術を持ち帰り、うどん・そばの作り方を日本に広めたことで発祥の地となり、さらに謝国明が大晦日、貧しい人々にそばをふるまったことが、「年越しそば」の始まりともいわれています。
寺を開く前年、仁治2年(1241年)、円爾(聖一国師)は、茶屋の栗波吉右衛門に、宋で習得した酒饅頭の製法を教授していますが、これが饅頭の始まりとされ、これが今も続く「虎屋」の酒饅頭のルーツなのだとか。
境内に福岡市菓子協同組合が建立した御饅頭所の碑が立っていますが、その碑面の文字は、栗波吉右衛門に与えた木製看板に記された揮毫「御饅頭所」(東京の「虎屋」に現存)。
墓地には新派俳優で「オッペケペー節」で一世を風靡した川上音二郎(現在の博多区対馬小路の生まれ)の墓があります。
「汽車が眺められるところに」という遺言で当時の博多駅に近い承天寺に葬られたのです。
寺宝の釈迦三尊像(鎌倉時代)、禅家六祖像(鎌倉時代)、銅鐘(高麗時代)はいずれも国の重要文化財。
博多織の祖として伝えられる満田弥三右衛門の記念碑、延宝2年(1674年)、博多の商家・谷宗理が桜井神社から買い取って、承天寺に寄進・建立した鐘楼などもあるのでお見逃しなく。
博多の恩人ともいえる謝国明は、御笠橋近くの楠の大木の下に眠っています。
承天寺 | |
名称 | 承天寺/じょうてんじ |
所在地 | 福岡県福岡市博多区博多駅前1-29-9 |
関連HP | 福岡市公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄祇園駅から徒歩5分。JR博多駅から徒歩10分 |
ドライブで | 福岡都市高速千代ランプから約800m |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 承天寺 TEL:092−431−3570 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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