関門海峡の最狭部、北九州市門司区の古城山(174.9m)にある中世の山城の跡。一帯は和布刈公園(めかりこうえん)として整備されています。壇ノ浦合戦の直前に平家側が築いたのが始まりという。その後、藤原親房が門司氏を名乗り、門司城を拠点としています。江戸時代初期の元和の一国一城令で廃城に。
関門海峡を一望にする中世の山城跡
元暦2年(1185年)、壇ノ浦の合戦に際して平知盛(たいらのとももり=平清盛の四男)が家臣の長門国目代・紀伊通資 (きいみちすけ)に命じて築いたのが始まり。
建長7年(1255年)、藤原親房(ふじわらのちかふさ)が下総から平家残党鎮圧の役割を担う豊前代官職として入城し、門司(もんじ)氏を名乗っています。
門司氏は門司城を本城に足立・吉志・若王子・三角山・全山の5支城を構えました。
関門海峡を一望する要衝にあるため戦国時代には城を巡る攻防が続き、毛利氏と大友氏の激戦の地となっています。豊臣秀吉の九州征伐の際にも拠点のひとつとなっていますが、細川忠興豊前国に入国後の元和3年(1617年)、元和の一国一城令により廃城となっています。
ちなみに武蔵・小次郎の巌流島の決闘時の門司城城代は、長岡勘解由で決闘に関する貴重な目撃証言を残しています。
明治25年に大日本帝国海軍の下関要塞が設置されると砲台などが城跡に築かれて多くの遺構は破却され、現存するのは石垣の一部のみちなっています。
標高174.9mの山頂一帯が本丸跡です。
門司城跡 | |
名称 | 門司城跡/もじじょうせき |
所在地 | 福岡県北九州市門司区旧門司(和布刈公園内) |
関連HP | 北九州市公式ホームページ |
電車・バスで | JR門司港駅から西鉄バスで和布刈行き10分、和布刈公園下車 |
ドライブで | 関門自動車道門司ICから約2km |
駐車場 | 和布刈公園駐車場(357台/無料) |
問い合わせ | 門司区役所まちづくり整備課 TEL:093-331-1881 |
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