12世紀から西国を代表する修験道の聖地として栄えた英彦山(ひこさん/中世には彦山)。神仏習合の彦山三所権現が祀られ、山中にはわかっているだけでも800ほどの坊がありました。英彦山山麓(福岡県添田町)に残る旧亀石坊庭園は、雪舟が作庭したと伝わる庭園の跡で、雪舟四大庭園にも数えられています。
雪舟が作庭したと伝わる名園
明治初年の神仏分離、それに続く明治5年の修験禁止令(全国で職を失った山伏が17万人もいたとも)で、神仏習合で信仰の拠点だった天台修験の霊仙寺(りょうせんじ)は廃寺となり、英彦山神社(現・英彦山神宮)に生まれ変わりました。
山中にあった800の坊には、庭園も築かれ、傑作とされる雪舟作庭の旧亀石坊庭園(室町時代)をはじめ、旧政所坊庭園(桃山時代)、旧座主院庭園(桃山時代)、 顕揚坊庭園(江戸時代初期)、愕厳坊庭園(江戸時代初期)、旅殿庭園(江戸時代初期)など17の庭園が残されています。
雪舟は、周防国(すおうのくに=現・山口県)・山口の大内氏を頼って、応仁元年(1467年)に遣明船(大内船)で明国に渡って水墨画を学び、文明元年(1469年)、明から帰国し京に入りましたが、応仁の乱を逃れて周防国、豊後国(ぶんごのくに=現・大分県)、石見国(いわみのくに=現・島根県)などを遍歴。
文明8年(1476年) 頃、英彦山の霊仙寺塔頭(たっちゅう=子院)亀石坊の招きで豊後国(臨済禅の中心地、府内=現・大分市)から彦山(英彦山)に来山。
滞在数年滞在していたとされ、この庭園は文明11年(1479年)に築かれたと伝わります。
英彦山一の嶽を借景にして築いた池泉鑑賞式庭園で、東側が一段高く、南西へ傾斜している地形を巧みに利用して築山をつくり、その山裾に池が掘られています。
実際に雪舟が作庭したと裏付ける記録はあえりませんが、出島の横に亀石や鶴石を配し、奥行の深い滝石を組むなど、雪舟作庭として知られる常栄寺庭園(山口県山口市)、医光寺(島根県益田市)、萬福寺(島根県益田市)と似たつくりな点、雪舟には彦山実円坊の等琳(とうりん)という名の直弟子(山伏)がいたことから、雪舟作庭と推測できるのです。
雪舟は彦山(英彦山)に3つの庭園を築いたとされていますが、現存するのは旧亀石坊庭園のみとなっています。
旧亀石坊庭園 | |
名称 | 旧亀石坊庭園/きゅうかめいしぼうていえん |
所在地 | 福岡県田川郡添田町英彦山1346 |
関連HP | 添田町公式ホームページ |
電車・バスで | JR彦山駅から添田町バス英彦山行き20分、英彦山神宮下下車、徒歩30分 |
ドライブで | 大分自動車道杷木ICから約31kmで別所駐車場 |
駐車場 | 別所駐車場(100台/無料) |
問い合わせ | 添田町まちづくり課文化財係 TEL:0947-82-5964 |
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