福岡市東区名島1丁目、昭和4年3月25日に多々良川河口近くに築かれた水上飛行機専用の飛行場の跡が、名島水上飛行場跡(なじますいじょうひこうじょうあと)。正式名は福岡飛行場で、東京飛行場、大阪飛行場と並ぶ逓信省指定の飛行場で、日本航空輸送により大阪・上海へと定期水上機便が運行されていました。
リンドバーグ夫妻も飛来した水上飛行機専用の国際空港
昭和6年にはリンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh)が、妻のアン(Anne/無線通信士として同伴)とともにパン・アメリカン航空から依頼された北太平洋航路調査のため水上飛行機ロッキード・シリウス(LOCKHEED “SIRIUS”)「ティンミッサートク号(チンミサトーク号)」で飛来したのも、名島水上飛行場です。
リンドバーグ夫妻は、ニューヨークを出発した後、アラスカ、アリューシャン群島、千島列島を経て、8月24日に根室に、8月26日に霞ヶ浦に到着(料亭「霞月楼」で海軍主催の歓迎会)、さらに9月13日に大阪木津川尻(木津川飛行場)に着陸、京都奈良などを観光後(京都では都ホテルに宿泊)、9月17日、福岡・名島水上飛行場に立ち寄り、呉服町にあった「共進亭ホテル」(国策ホテルのひとつ)に宿泊、9月19日、福岡から中華民国へと旅立っています(滞日中の9月18日に満州事変勃発、同行した外国人記者がその概要を配信しています)。
リンドバーグの開拓した空路は、残念ながら気象条件が悪く実現しませんでしたが、雲の上を飛ぶ現在では日本とアメリカ東海岸を結ぶ空路は、リンドバーグ開拓とほぼ同じコースを飛んでいます。
名島水上飛行場は、水上飛行機だけの運用では不便なことから昭和9年に廃止され、雁ノ巣の福岡第一飛行場に移管されています。
水上飛行機の飛行場とはいえ、大阪だけでなく上海、大連、京城(ソウル)など大陸とを結んだ国際空港でした。
離発着は水上でしたが、飛行機を陸揚げするために巨大なクレーンも設置されていました。
「白鳩号」と名付けられたドイツ製の大型のドルニエ機(川崎造船所がライセンス生産したドルニエDoJワール=日本で初めて運航された旅客飛行艇/Dornier Do J)とアメリカ製のフォッカー・スーパーユニバーサル飛行機(中島飛行機がライセンス生産、双フロートを装備した水上機として運用/Fokker Super Universal)が運用され、大阪〜福岡は35円でした。
ドルニエ機「白鳩号」は、日中関係の悪化により試運航のみで上海への運航は中止され、大阪〜福岡間の日本航空輸送の瀬戸内海路線で運用されましたが、昭和7年2月27日、大阪の木津川飛行場を飛び立った「白鳩号」は両翼が羽ばたきを起したために、空中分解し、福岡県八幡市(現・北九州市)郊外の河内貯水池に墜落しています(操縦士、通信士、機関士の搭乗者5名全員死亡)。
名島水上飛行場跡は埋め立てられて住宅地になっていますが、市営城浜住宅28棟近くに名島水上飛行場跡の碑が立つほか、福岡城浜郵便局前の道は「リンドバーグ通り」と名付けられプレートが立てられて、海岸にはリンドバーグ夫妻の寄航を説明する写真パネルが設置されています。
ちなみに多々良川に架かる国道3号の名島橋は、名島水上飛行場へのアクセス路として築かれたコンクリート7連アーチ橋です(国の登録有形文化財)。
名島水上飛行場跡 | |
名称 | 名島水上飛行場跡/なじますいじょうひこうじょうあと |
所在地 | 福岡県福岡市東区名島1-1-24 |
電車・バスで | 西鉄名島駅から徒歩20分 |
ドライブで | 福岡高速1号名島出入口から約550m |
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