岩屋神社

岩屋神社

福岡県朝倉郡東峰村、JR日田彦山線・筑前岩屋駅の西側の山中に鎮座するのが、岩屋神社。その名の通り岩窟(岩屋)に本殿があるという神社で、現存する本殿は、元禄11年(1698年)、福岡藩4代藩主・黒田綱政(くろだつなまさ)の建立で、国の重要文化財に指定されています。

権現岩の窪みに建つ本殿は国の重要文化財に指定

岩屋神社

天保4年(1833年)に記された『宝珠山邑岩屋神社来歴略記』(ほうしゅやまむらいわやじんじゃ)によれば、継体天皇26年(532年)、善正法師(中国・北魏からの渡来僧)が宝珠山宝泉寺大宝院を創建したのが始まりとしています。
また、欽明天皇8年(547年)、光輝くものが天から岩屋のある岩上の権現岩に降臨。
それを「宝珠石」(宝珠=何でも願いが叶かなう不思議な玉)と名付け、ご神体として祀ったとも。
宝珠石は、星の玉とも呼ばれるように、隕石である可能性が大。

彦山四十九窟(ひこさんしじゅうきゅうくつ=弥勒菩薩の浄土を模した行場)の第三窟・宝珠山岩屋社として英彦山修験道(英彦山修験道)、宝満山修験道(ほうまんさんしゅげんどう)の修行の地として栄え、大日堂(現・大日社)に大日如来が祀られ、行者は宝珠石に祈願していました。

室町時代に彦山(胎蔵界)と宝満山(金剛界)の尾根筋を踏破する入峰修行(にゅうぶしゅぎょう)が確立されると、修行の拠点、玉置宿(玉来宿・たまきしゅく)として栄えました。
天正8年(1580年)、大友宗麟(おおともそうりん)・大友義統(おおともよしむね)の彦山焼き討ちでなど、二度の戦火で荒廃。
その後、江戸時代に岩屋大権現を祀る岩屋権現社として再興されています。

彦山(胎蔵界)と宝満山(金剛界)の権力争いでは、修験道の寺社を統制下に置きたい福岡藩の意向を背景に、彦山の末から宝満山末へと移り、その褒美の意もあって、黒田綱政が本殿を再建しているのだと推測できます。

英彦山権現と同様に、岩屋大権現も明治初年に修験道の廃止、神仏分離、廃仏毀釈の荒波を受け、神社として存続。
現在は、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと/本地仏・阿弥陀如来)、伊弉冉尊(いざなみのみこと/本地仏・釈迦如来)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと/本地仏・観世音菩薩)の三神を祭神としています。

参道入口から石仏の並ぶ石段を上り、馬の首根岩(うまのこうねいわ)で狭い洞門を抜けるとようやく頭上の本殿が目に入るように。
ここからさらに石段を上ってようやく本殿にたどり着きます。

途中の石仏(岩屋の首無し地蔵)に首がないのは、廃仏毀釈で破壊されたから。
村民により、谷底に投げ捨てられた石仏を集めて参道に置いたものです。

下り道は転落の危険があるので、歩きやすい靴での登拝がおすすめです。

境内社の熊野神社本殿も岩窟に収まり、国の重要文化財に指定されています。

岩屋神社
名称 岩屋神社/いわやじんじゃ
所在地 福岡県朝倉郡東峰村宝珠山4141
関連HP 東峰村公式ホームページ
電車・バスで JR筑前岩屋駅から徒歩20分
ドライブで 大分自動車道杷木ICから約16km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 東峰村農林観光課 TEL:0946-72-2313
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
熊野神社(岩屋神社境内社)

熊野神社(岩屋神社境内社)

福岡県朝倉郡東峰村、JR日田彦山線・筑前岩屋駅の西側の山中に鎮座するのが、岩屋神社。その名の通り岩窟(岩屋)に本殿があるという神社で、本殿は国の重要文化財ですが、岩屋神社境内社の熊野神社の本殿も岩窟に収まり、やはり国の重要文化財に指定されて

 

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