サイトアイコン ニッポン旅マガジン

関ヶ原古戦場・徳川家康最初の陣跡(桃配山)

関ヶ原宿から中山道を東の垂井宿を目ざすと関ヶ原の東の入口に位置する小高い丘がある。ここが桃配山。東側から関ヶ原を俯瞰できる地で、ここに関ヶ原に布陣した東軍・徳川家康は合戦の当初、この桃配山に陣を構え、戦(いくさ)の成り行きを見守ります。桃配山なら石田三成が陣を構えた笹尾山も3kmほど先で指呼のうちです。

家康の最初の陣は大海人皇子戦勝の旧跡

古くは672(天武天皇元)年、壬申の乱の際に、大友皇子軍を迎え撃つため、大海人皇子(おおあまのおうじ=後の天武天皇)が拠点とした地で、そのときここで山桃を配って戦に勝利したのが地名の由来。

桃は、古来から中国では縁起の良い食べ物とされ、日本でも古代から山桃は魔除けとされてきました。
徳川家康は縁起を担いでこの地に美濃赤坂(現・岐阜県大垣市赤坂町の岡山本陣跡)から霧の立ちこめる早朝に兵を移動し、桃配山に陣を敷いたのです。

桃配山に家康は厭離穢土・欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)の纏(まとい=馬印)を置き、軍議を開いています。
徳川家康が使用したとされる腰掛石と机石が現存。

山桃は今も山に生え、6月頃に暗紅色の実を付けています。

厭離穢土・欣求浄土

厭離穢土・欣求浄土は、苦悩の多い穢れたこの世を厭(いと)い離れたいと願い心から欣(よろこ)んで平和な極楽浄土を冀(こいねが)うの意。
桶狭間の戦いで今川義元討死の後、松平元康(徳川家康=今川義元の人質でした)菩提寺である三河国・岡崎の大樹寺へと逃げ隠れ、自刃しようとした際に、13代住職・登誉が「厭離穢土・欣求浄土」と説き、切腹を思いとどまらせたと伝えられています。
登誉は、平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成すと諭し、家康はこの教えを馬印にして、ついに天下統一を目前に、桃配山に陣を築いたのです。
徳川家康は、「厭離穢土・欣求浄土」を天下統一までの馬印にしています。
映画やドラマで家康の本陣のシーンには、この馬印にも注目を。

関ヶ原古戦場・徳川家康最初の陣跡(桃配山)
名称関ヶ原古戦場・徳川家康最初の陣跡(桃配山)/せきがはらこせんじょう・とくがわいえやすさいしょのじんあと(ももくばりやま)
所在地岐阜県不破郡関ケ原町野上南桃配
関連HP関ケ原観光協会公式ホームページ
電車・バスでJR関ヶ原駅から徒歩20分
ドライブで名神高速道路関ヶ原ICから約3km
駐車場8台/無料、横断注意
問い合わせ関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

関ヶ原古戦場散策・徳川家康コース

「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で徳川家康の足跡をたどる散策コースが、徳川家康コース。最初に布陣した桃配山(ももくばりやま)から、戦況を好転させるために移動した陣場野の徳川家康最後陣地まで、家康進軍の足跡をたどります。全行程

関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡

岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原、十九女池(つづらがいけ)西にあるのが、関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡。徳川四天王に数えられる本多忠勝は、勇猛なだけではなく知略も備えた名将として名を馳せていますが、関ヶ原合戦では軍監として参戦し、先陣となった松平忠吉

関ケ原陣跡制覇ウォーキング|2024

 2024年9月29日(日)8:30〜16:00、岐阜県不破郡関ケ原町で『関ケ原陣跡制覇ウォーキング』。旧暦9月25日の関ヶ原の闘いにちなみ、各武将の陣営を巡る異色のウォーキングです。参加費1000円、募集人数は1200人で、心

徳川家康ゆかりの合戦 9選

徳川家康が参戦した最初の大規模な合戦は、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)。「どうする家康」と窮地に立たされたことも何度もありながら、ついに天下人となるまでの、9ヶ所の激戦地(古戦場)を、現地の詳細情報をサイト内リンクしながら年代順に紹介

関ヶ原古戦場・開戦地

慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で行なわれた、「天下分け目の戦い」関ヶ原の合戦。東軍の先陣は福島正則と事前の軍議で決められており、井伊直政の抜け駆け的に開始したとも伝えられています

関ヶ原古戦場・決戦地

西軍有利な陣形で望んだ合戦(西軍は「鶴翼の陣形」)は序盤、実働部隊としての数で劣る西軍優勢で展開しますが事前に東軍に通じていた小早川秀秋隊の背反を契機に形勢は逆転。西軍の諸将が敗走するなか、関ヶ原合戦でも最大級の激戦が繰り広げられたのが笹尾

関ヶ原古戦場・徳川家康最後の陣跡

東海道本線関ヶ原駅の北側、陣場野公園の一角にあるのが徳川家康最後の陣跡。中山道・関ヶ原宿の東、桃配山に陣を構えた家康は、合戦の最中に、東軍の動きを確認するため石田三成が陣を構えた笹尾山の東南1kmに位置する陣場野に陣を敷いています。家康は最

関ヶ原古戦場・徳川家康最初の陣跡(桃配山)

関ヶ原宿から中山道を東の垂井宿を目ざすと関ヶ原の東の入口に位置する小高い丘がある。ここが桃配山。東側から関ヶ原を俯瞰できる地で、ここに関ヶ原に布陣した東軍・徳川家康は合戦の当初、この桃配山に陣を構え、戦(いくさ)の成り行きを見守ります。桃配

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了