関ヶ原古戦場・決戦地

西軍有利な陣形で望んだ合戦(西軍は「鶴翼の陣形」)は序盤、実働部隊としての数で劣る西軍優勢で展開しますが事前に東軍に通じていた小早川秀秋隊の背反を契機に形勢は逆転。西軍の諸将が敗走するなか、関ヶ原合戦でも最大級の激戦が繰り広げられたのが笹尾山を背にする関ヶ原古戦場・決戦地です。

ここが「天下分け目の関ヶ原」の決戦地

石田三成隊はこの地で奮戦するが東軍に傾いた勢いを止めることはできませんでした。
1600(慶長5)年9月15日、午前のこと。

田畑の中の園地に「史蹟 関ヶ原古戦場 決戦地」と記された石柱が立っています。
徳川家、石田家の家紋入りの旗が立ち、休憩所も用意されています。
家康が本陣を笹尾山近くに押し出したこともあって、石碑が立つ場所のすぐ西には笹尾山があります。

優勢となった東軍は、石田三成や諸将の首を狙って石田三成の本陣を目ざします。
笹尾山の麓に陣取った島左近隊などの奮戦及ばす、西軍総崩れのなか、劣勢を挽回することはできませんでした。

 

関ヶ原古戦場・決戦地
名称 関ヶ原古戦場・決戦地/せきがはらこせんじょう・けっせんち
所在地 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原
関連HP 関ケ原観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR関ヶ原駅から徒歩15分
ドライブで 名神高速道路関ヶ原ICから約2km
駐車場 石田三成陣跡笹尾山無料駐車場を利用
問い合わせ 関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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