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馬籠宿

馬籠宿

岐阜県中津川市、中山道(なかせんどう)、木曽十一宿のなかで、もっとも南に位置する宿場が馬籠宿(まごめじゅく)。山間の坂道に沿って、南北1kmほどにわたり、街道時代さながらの家並みが続いています。文豪・島崎藤村の生まれ故郷として知られ、彼の晩年の大作『夜明け前』の舞台となった宿場です。

『夜明け前』の舞台となった小さな宿場

中山道木曽路の南の入口にあり、宿場内には藤村記念館(とうそんきねんかん)、清水屋資料館(島崎家と親交が深かった清水屋原家)など、島崎藤村とその作品の登場人物、背景を彷彿させるみどころが数多いのも特徴。
馬籠宿は、宿場全体が坂道で、石垣を築いて屋敷を造る「坂のある宿場」です。
水舎小屋前から眺める恵那山は、ビューポイントのひとつ。

本陣、脇本陣は明治28年の馬籠大火で焼失していますが、島崎藤村も生まれた馬籠宿本陣跡には礎石が残されています。
脇本陣は馬籠脇本陣史料館になり、脇本陣の上段の間を復元し、家財や什器が展示されています。
また宿場内には高札場、枡形なども復元され、往時を偲ぶことが可能。

馬籠宿から馬籠峠へは、信濃路自然歩道も整備されハイキングにも絶好。
妻籠宿まで歩くプランも可能です。

信濃国の宿場町は平成の大合併で岐阜県に!

馬籠宿は旧国的には信濃国(長野県)ですが、昭和30年代の昭和の大合併で、昭和32年、神板村がまずは中津川市になり、馬籠宿は神板村の一部でしたが、長野県山口村に編入されました。
この時、馬籠宿が島崎藤村の出身地だったことから、長野県が合併に大反対し、自治庁の裁定で「馬籠など北部3集落は長野県残留、その他は岐阜県へ」ということになったのです(第二次世界大戦後、東西に分割されたベルリンに例えて「木曽ベルリン」とも呼ばれた県を越えての合併運動で、反対派、賛成派に分かれた対立が生まれ、禍根を残すことに)。

その後、平成の大合併で当時の山口村は、昭和の大合併時の反省もあって比較的に穏便に、岐阜県中津川市に越境編入され、ついに馬籠宿も岐阜県になったのです。

馬籠宿
名称 馬籠宿/まごめじゅく
所在地 岐阜県中津川市馬籠
関連HP 馬籠観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR中津川駅から濃飛バス馬籠行きで29分、終点下車、徒歩15分
ドライブで 中央自動車道中津川ICから約14km
駐車場 市営馬籠駐車場(500台/無料)
問い合わせ 馬籠観光協会 TEL:0573-69-2336/FAX:0573-69-2653
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

馬籠峠

岐阜県中津川市と長野県木曽郡南木曽町との境にある標高790mの峠が馬籠峠(まごめとうげ)。中山道(なかせんどう)の馬籠宿(まごめじゅく/中津川市)と妻籠宿(つまごしゅく/南木曽町)の間の峠ですが、もともとはともに信州(長野県)で、木曽路南部

馬籠脇本陣史料館

岐阜県中津川市馬籠、中山道(なかせんどう)木曽路の最南端の宿場、馬籠宿(まごめしゅく)の脇本陣跡地に建つ郷土資料館が馬籠脇本陣史料館。脇本陣八幡屋(蜂谷家)は、島崎藤村晩年の代表作『夜明け前』に桝田屋の名で描かれる、造り酒屋でもあり、馬籠宿

藤村記念館

岐阜県中津川市馬籠にある文豪・島崎藤村の記念館が藤村記念館(とうそんきねんかん)。島崎藤村の生家は、馬籠宿(まごめじゅく)の本陣を務めた島崎家。藤村記念館では、『夜明け前』、『嵐』などの作品原稿、島崎藤村の遺愛品などを収蔵展示し、藤村文学と

大黒屋茶房

岐阜県中津川市馬籠、中山道(なかせんどう)・木曽路、馬籠宿(まごめしゅく)にある食事処が大黒屋茶房。街道時代は造り酒屋を営んでいた大黒屋の名物は、馬籠出身の島崎藤村の小説『夜明け前』にも記述のある「栗おこわ」です。島崎藤村とも関係の深い、大

清水屋資料館

岐阜県中津川市馬籠、街道時代に馬籠宿の代々宿役人(しゅくやくにん)を務めた清水屋原家の建物を資料館に再生したのが清水屋資料館。島崎藤村など、本陣の島崎家と親しかった清水屋原家に伝わるの古文書や陶器、島崎藤村直筆の書簡など、藤村関連の資料など

歩く人の8割が訪日外国人! 大人気の「サムライロード」とは!?

Samurai Road(サムライロード)、Samurai Trail(サムライトレイル)として訪日外国人たちの注目を集めるのが、中山道・木曽路。とくに往時の中山道が自然歩道として残される馬籠宿(まごめじゅく)〜妻籠宿(つまごしゅく)の9k

 

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