サイトアイコン ニッポン旅マガジン

藤村記念館

藤村記念館

岐阜県中津川市馬籠にある文豪・島崎藤村の記念館が藤村記念館(とうそんきねんかん)。島崎藤村の生家は、馬籠宿(まごめじゅく)の本陣を務めた島崎家。藤村記念館では、『夜明け前』、『嵐』などの作品原稿、島崎藤村の遺愛品などを収蔵展示し、藤村文学と故郷・馬籠宿の関係を詳細に解説しています。

島崎藤村の生家、馬籠宿本陣跡に建つ記念館

馬籠宿本陣の跡地に建つ記念館には、本陣冠木門(ほんじんかぶきもん)が復元されているほか、村民の手で建てられた藤村記念堂、本陣時代の隠居所、資料展示室などがあり、島崎藤村と馬籠との関わりや、藤村文学についても知ることができます。
常設展示室では処女詩集『若菜集』(明治30年)、『破戒』(明治39年)、『夜明け前』(昭和4年、読売新聞に連載)から、昭和18年8月22日、その死で未完の作品になった『東方の門』までを年代順に展示しています。

また島崎藤村が晩年を過ごし、『東方の門』の執筆途中に他界した終焉の地、神奈川県大磯にあった書斎も復元。
一帯は島崎藤村宅(馬籠宿本陣)跡として県の史跡に指定され、往時の建物の礎石などが残されています。
島崎藤村は明治5年、筑摩県(現在の長野県)馬籠村に生まれ(平成17年、県境を越える合併で岐阜県中津川市に編入)、明治14年、9歳で学問のため上京し同郷の吉村家に寄宿しながら銀座の泰明小学校に通っています。
明治19年には、 父・島崎正樹(17代当主)が気が変になったという理由で、島崎家の座敷牢に監禁され牢死。
父・島崎正樹は『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルで、幕末から明治にかけて、波乱の人生を歩んだ父の姿に強い影響を受けています。

ちなみに、島崎家の菩提寺は記念館裏手の永昌寺(『夜明け前』では万福寺)です。
島崎藤村は、晩年を過ごした大磯の地福寺に葬られ、分骨として遺髪・遺爪が菩提寺・永昌寺に埋葬されています。

島崎藤村宅(馬籠宿本陣)跡は、日本遺産「木曽路はすべて山の中~山を守り 山に生きる~」の構成資産にもなっています。

藤村記念館
名称 藤村記念館/とうそんきねんかん
所在地 岐阜県中津川市馬籠4256-1
関連HP 藤村記念館公式ホームページ
電車・バスで JR中津川駅から濃飛バス馬籠行きで29分、終点下車、徒歩10分
ドライブで 中央自動車道中津川ICから約14km
駐車場 市営馬籠駐車場(500台/無料)
問い合わせ 藤村記念館 TEL:0573-69-2047/FAX:0573-69-2231
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

馬籠宿

岐阜県中津川市、中山道(なかせんどう)、木曽十一宿のなかで、もっとも南に位置する宿場が馬籠宿(まごめじゅく)。山間の坂道に沿って、南北1kmほどにわたり、街道時代さながらの家並みが続いています。文豪・島崎藤村の生まれ故郷として知られ、彼の晩

馬籠脇本陣史料館

岐阜県中津川市馬籠、中山道(なかせんどう)木曽路の最南端の宿場、馬籠宿(まごめしゅく)の脇本陣跡地に建つ郷土資料館が馬籠脇本陣史料館。脇本陣八幡屋(蜂谷家)は、島崎藤村晩年の代表作『夜明け前』に桝田屋の名で描かれる、造り酒屋でもあり、馬籠宿

馬籠峠

岐阜県中津川市と長野県木曽郡南木曽町との境にある標高790mの峠が馬籠峠(まごめとうげ)。中山道(なかせんどう)の馬籠宿(まごめじゅく/中津川市)と妻籠宿(つまごしゅく/南木曽町)の間の峠ですが、もともとはともに信州(長野県)で、木曽路南部

清水屋資料館

岐阜県中津川市馬籠、街道時代に馬籠宿の代々宿役人(しゅくやくにん)を務めた清水屋原家の建物を資料館に再生したのが清水屋資料館。島崎藤村など、本陣の島崎家と親しかった清水屋原家に伝わるの古文書や陶器、島崎藤村直筆の書簡など、藤村関連の資料など

大黒屋茶房

岐阜県中津川市馬籠、中山道(なかせんどう)・木曽路、馬籠宿(まごめしゅく)にある食事処が大黒屋茶房。街道時代は造り酒屋を営んでいた大黒屋の名物は、馬籠出身の島崎藤村の小説『夜明け前』にも記述のある「栗おこわ」です。島崎藤村とも関係の深い、大

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了