日本テレビと東宝の制作で昭和51年10月17日〜昭和52年11月13日に放送された『俺たちの朝』。鎌倉・江ノ電沿線を舞台とした『俺たちシリーズ』第2弾で、勝野洋(かつのひろし)が主演し、大ヒットしました。当時、廃止話も浮上していた江ノ電でしたが、ドラマの聖地となって復活を遂げました。
江ノ電は、「渋滞の元凶」扱いで廃止案も浮上
『俺たちシリーズ』の第1作、中村雅俊主演の『俺たちの旅』は、ユニオン映画制作で、まさに昭和を代表する青春ドラマ。
登場の背景となった時代は、アメリカン・ニューシネマ(アウトローやアンチ・ヒーローを主人公にリアリズムを追求した作品)全盛期。
世界恐慌時代の実在の銀行強盗であるボニーとクライドの、出会いと逃走を描いた昭和42年公開の『俺たちに明日はない』、そしてサイモンとガーファンクルが歌った主題歌も大ヒットした『卒業』は、アメリカン・ニューシネマの先駆けといわれました。
大ヒットした1作目の『俺たちの旅』は、吉祥寺、井の頭公園など京王・井の頭線沿線が舞台。
2作目の『俺たちの朝』の舞台設定は、当初世田谷区の等々力渓谷を予定していましたが、東急電鉄田園都市線(現・大井町線)の駅ホームでの撮影許可が出なかったことで断念。
そこで目を付けたのが、鎌倉と藤沢を結ぶ江ノ島電鉄。
江ノ電では東京オリンピックが開かれた昭和39年をピークに乗降者数が減少に転じ、マイカー時代が到来。
道路上を電車が走る併用軌道もある江ノ電は、「渋滞の元凶」扱いされ、廃止が検討される事態に陥りました。
当時、まだまだ江ノ電は観光的には注目されていませんでしたが、国鉄の『ディスカバー・ジャパンキャンペーン』(DISCOVER JAPAN/副題「美しい日本と私」)の浸透、そしてテレビドラマ『俺たちの朝』のヒットで、大注目となったのが江ノ電と江ノ電沿線の風景。
江ノ電といえば『SLAM DUNK』(スラムダンク)の舞台となった踏切が訪日外国人問題などで話題ですが、『俺たちの朝』で注目されたのは極楽寺駅周辺。
主人公の岩崎修治(オッス)・勝野洋、田口勇夫(チュー)・小倉一郎、滝村麻子(カアコ)・長谷直美、秋野太作(ヌケ)・秋野太作、佐久間かおる(ツナギ)・森川正太らが暮らし、闊歩したのが極楽寺駅界隈だったのです。
鉄道史上初という番組タイアップの記念切符を発行するなど、一大ブームに支えられた江ノ電は、史上空前の利益を計上、廃止案はなくなり、観光路線としての展開、さらに定時運行の重要性も重視されて存続が決まったのです。
撮影当時の極楽寺駅の旧駅舎は、現在もモニュメントとして保全されています。
廃止寸前の江ノ電を救った『俺たちの朝』とは!? | |
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