群馬・福島、新潟県境、尾瀬国立公園に指定される日本有数の高層湿原で、ラムサール条約の登録湿地。2000m級の山々に取り囲まれた標高1400mの盆地に、東西約6km、南北2kmにわたって大湿原が広がっています。上田代、中田代、下田代に分かれ、とくに春の水芭蕉、秋の紅葉シーズンはハイキングに人気。
本州最大の高層湿原を歩く
尾瀬の成因に関しては諸説ありますが、通説としては、数万年前に燧ヶ岳の噴火で只見川や沼尻川が堰き止められ、尾瀬ヶ原と尾瀬沼が誕生したという堰き止め説が有力。
自然堤防が形成され、水はけの悪い場所が湿地となり、寒冷な気候で植物が腐食せずに泥炭化して、高層湿原となったもの(低層湿原から中間湿原を経て、最終的に高層湿原へと発達)。
この泥炭層は、1年間に1mm弱しか堆積しないため、尾瀬ヶ原の中央部では、6000年~7000年という長い年月を費やして、4.5m~5mもの高層湿原を誕生させています。
東西6km、幅2kmにも及ぶ高層湿原は、本州最大。
春から秋にかけて咲き誇る湿生植物の種類は多種多様。
唱歌『夏の思い出』(江間章子作詞/中田喜直作曲)の歌い出し 「 夏が来れば 思い出す♪」で、水芭蕉は夏の花と思う人も多いのですが、実は雪解けに咲く「春から初夏の花」。
見頃は例年5月~6月で、温暖化で少し早まる傾向に。
夏を代表する花は、7月中旬〜下旬のニッコウキスゲで、湿原を彩る花々の最盛期には、多くの人でにぎわいます。
有名な草紅葉(くさもみじ)と呼ばれる紅葉は、9月中旬〜10月初旬頃。
ブナなどの広葉樹の紅葉は、9月下旬〜10月中旬頃(いずれも年によって変動があります)。
西端の山ノ鼻に群馬県が設置する尾瀬山の鼻ビジターセンターが建つほか、山ノ鼻北側の尾瀬植物研究見本園に付けられた木道なら、一周1時間で湿原の花を手軽に観察できる。山ノ鼻へは鳩待峠から徒歩1時間(復路は1時間30分)。尾瀬沼は尾瀬ヶ原の東4kmに位置する。至仏山荘(尾瀬ヶ原西端の山ノ鼻にある)、東電小屋(尾瀬ヶ原北側)など尾瀬の山小屋は完全予約制となっているので入山にあたっては注意を。
自然保護運動の魁(さきがけ)となった尾瀬
尾瀬ヶ原の水は只見川となって日本海に流れ出ていますが、大正8年、関東発電が水利権取得を申請し(大正10年、水利権取得)、その水源である尾瀬に堤高85.0mのロックフィルダムを建築する尾瀬原ダム計画が生まれました。
大正11年、平野長蔵は、このダム計画に反対するため、「長蔵小屋」に永住を決意しています。
戦後も計画は続き、昭和22年、経済安定本部は「尾瀬原・利根川・只見川総合開発計画」に着手(政府内部でも厚生省、文部省などは建設反対の立場でした)。
「長蔵小屋」の主人・平野長英(平野長蔵の子)らの反対運動は、「尾瀬保存期成同盟」の結成(昭和24年)へと発展し、現在の日本自然保護協会誕生(昭和26年)のきっかけになっています。
こうした反対運動で、昭和41年3月に、尾瀬原ダム計画は凍結されたのです。
現在も尾瀬国立公園全体の約4割、特別保護地区の約7割が東京電力が保有していますが、これは前身の電力会社から受け継いだもの(昭和26年、東京電力設立)。
大正5年、尾瀬の群馬県側は民有地だったため、尾瀬の豊富な水を発電に生かそうと利根水電が保有したのです。
尾瀬ヶ原一望の一等地に建ちハイカーに絶大な人気を誇る「東電小屋」は、昭和初期に関東水電が尾瀬の降水量調査のために建てた観測小屋(「水電小屋」)が前身。
後に東京電燈に受け継がれ、東京電燈の小屋という意味で東電小屋と呼ばれるように。
今でも管理は東京電力です。
東京電力では、尾瀬に全長65kmの木道を敷設するなど、自然保護にも尽力。
アヤメ平の湿原回復作業なども行なわれています。
尾瀬ヶ原 | |
名称 | 尾瀬ヶ原/おぜがはら |
所在地 | 群馬県利根郡片品村戸倉 |
関連HP | 尾瀬保護財団公式ホームページ |
電車・バスで | JR沼田駅から関越交通バス大清水方面行きで1時間30分、鳩待峠行きバス連絡所下車、関越観光バス鳩待峠行きに乗り換え25分、終点下車、徒歩1時間で尾瀬ヶ原西端の山ノ鼻 |
ドライブで | 関越自動車道沼田ICから約45kmで鳩待峠。GW、夏休み、紅葉シーズン(10月)にはマイカー規制を実施するためスノーパーク尾瀬戸倉駐車場に車を入れ路線バス、タクシーを利用 |
駐車場 | 鳩待峠駐車場(50台/有料)、マイカー規制時はスノーパーク尾瀬戸倉駐車場(500台/有料)を利用 |
問い合わせ | 尾瀬保護財団 TEL:027-220-4431 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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