荒船風穴

荒船風穴

群馬県下仁田町にある世界文化遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産が荒船風穴(あらふねふうけつ)。明治38年に養蚕農家の庭屋静太郎が築いた蚕種貯蔵施設。岩の隙間から吹き出す天然の冷風を利用した蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設で、神津牧場への群馬県道44号(下仁田浅科線)沿いにあります。

全国で最大規模の蚕種抑制風穴で世界遺産!

荒船風穴
現在は石垣だけですが、往時には屋根上に排気設備を設置した建物がありました

信州・佐久に隣接する神津荒船高原の東山腹にある荒船風穴(正式名称は、荒船風穴蚕種貯蔵所)。
長野県を発祥とする天然の冷風を利用した風穴技術を研究し、大規模な貯蔵施設を生み出したもの。3基の風穴があり、貯蔵能力は国内最大規模。
現在でもその環境が維持され、石積みの間から天然の冷風が吹き出しています。

庭屋静太郎は、息子の庭屋千尋が荒船山中で見つけた冷風の吹き出し場所を蚕種の貯蔵庫として利用することを思いつき、明治38年〜大正3年、我が国最大の蚕種貯蔵施設「荒船風穴」を経営したのです。
荒船風穴は国内最大規模の貯蔵能力を誇り、日本全国を相手に事業を展開。
国内だけに留まらず、朝鮮半島からの蚕種も貯蔵し、養蚕の多回数化を支え、繭の増産に貢献しています。

江戸時代まで蚕(かいこ)の飼育は気候に合わせた年内1蚕(春蚕中心)でしたが、温度変化の少ない山間の風穴の冷風を利用した蚕種貯蔵施設の開発で、明治中期以降には年内2蚕、年内3蚕へと進化したのです。
夏秋蚕は農家にとって農閑期にあたり、全国的にもこの方法が採用され、蚕糸の増産につながり、養蚕業でなく日本の貿易にまで影響を与えたのです。

明治39年には奥木仙五郎(おくぎせんごろう)により、現在の群馬県中之条町にも東谷風穴(あずまやふうけつ/見学は困難)が営まれるなど、明治期後半の蚕の増産は、実はこの風穴利用が背景にはありました(それが世界遺産登録の大きな要因)。

見学時間内は解説員が駐在(冬期閉鎖、下仁田町外の大人は見学料が必要)。
史跡保護のため、風穴内部に入っての見学はできません。

入口の荒船風穴見学者広場からも高低差のある坂道を往復する(片道800mほど)ため歩きやすい格好で見学を。
山中に位置するため携帯電話も通じないし、夕方以降は足下が暗くなるので注意が必要。
また、荒船風穴から神津牧場へと通じる群馬県道44号(下仁田浅科線)は、1.5車線のタイトなカーブが連続する「険道」なので、運転には注意が必要です。

荒船風穴の資料は下仁田町歴史館に展示されているのであわせて見学を。
なお、群馬側からのアプローチは風穴手前の4.2kmに通行規制が実施され、土・日曜、祝日は通行止めになり、荒船風穴駐車場からシャトルバスが運行されています。

荒船風穴

稲核(現・長野県松本市)発祥の養蚕風穴

養蚕風穴(蚕種抑制風穴)は、荒船風穴がルーツというわけではなく、恵那山の山麓、長野県西筑摩郡神坂村(現在の岐阜県中津川市神坂)の神坂風穴群では、明治6年に始まり、最盛期の明治40年代には30基を数えていました。

蚕は自然のままに置いておくと、前年に産卵した蚕種(さんしゅ=卵)が春から初夏にかけての気温の上昇とともに孵化(ふか)して幼虫になります。
これが明治初期までの年内1蚕の春蚕ですが、孵化する前に天然の冷蔵庫である風穴に蚕種を貯蔵し、孵化を抑制することで、農閑期である夏蚕、秋蚕などが可能となり、年3回の養蚕で、生産の増大に繋がったのです。

ただし、出荷時の温度上昇や、梅雨時の湿気など、課題も抱えていたので、それを克服する技術が必要でした。

信州では、松本から上高地へと続く梓川の河岸段丘上の稲核(いねこき)集落には10基前後の蚕種貯蔵風穴があり、現在でも自家用の天然冷蔵庫として使われるものがあります(道の駅「風穴の里」の周辺)。

稲核の旧家・前田家が保有する「風穴本元」で、幕末の文久年間( 1861年〜1864年)に当主・前田喜三郎の考案で、全国に先駆け、蚕種貯蔵が始まったと伝えています(『前田風穴沿革誌』)。
稲核からは明治22年、鉄道の開通を背景に、愛媛県など全国に蚕種を送ったという記録が残されています。

全国的にも秋田県湯沢市の三関風穴(明治41年に三関風穴蚕種貯蔵組合結成)、群馬県高崎市の黒岩風穴、静岡県伊豆市の天城風穴(明治33年に天城風穴株式会社創立)、兵庫県豊岡市日高町の神鍋風穴、宮崎県西臼杵郡高千穂町の祖母風穴など、養蚕風穴が全国に広がり、富士山麓の溶岩洞穴も蚕種貯蔵に使われています。
記録によれば、明治40年には全国122ヶ所に養蚕風穴があり、そのうち55ヶ所が養蚕発祥の長野県でした。

こうした蚕種抑制風穴も、大正3年、愛知県原蚕種製造所・小池弘三が人工孵化技術(休眠卵を加熱塩酸処理することで孵化させる技術)を開発したことで、昭和の初期には廃絶されています。

荒船風穴
名称 荒船風穴/あらふねふうけつ
所在地 群馬県甘楽郡下仁田町南野牧屋敷10690
関連HP 下仁田町公式ホームページ
電車・バスで 上信電鉄下仁田駅から観光タクシーで30分
ドライブで 上信越自動車道下仁田ICから約33km、佐久ICから約26kmで荒船風穴駐車場(駐車場から徒歩15分)
駐車場 荒船風穴駐車場を利用
問い合わせ 下仁田町教育委員会教育課(歴史館) TEL:0274-82-5345
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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