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綿貫観音山古墳

綿貫観音山古墳

国道354号(例幣使街道)とそのバイパスに挟まれた群馬県高崎市綿貫町にある前方後円墳が綿貫観音山古墳。南東側を前に美しい姿を留めており、周辺は群馬県内初の史跡公園として整備されています。発掘された金銅製品などは、6世紀後半の東国を代表する出土品として、国宝に指定されています。

大陸伝来の副葬品は国宝に!

6世紀後半に大陸や朝鮮半島と交流があった上毛野(かみつけ)地方の豪族が築造した古墳で、全長は98mにも及び、周囲には2重の堀が巡らされています。
墳丘には武人や巫女(みこ、ふじょ)などの人物や馬などをかたどった埴輪が配されていました。
とくに、横穴式石室の入口近くからみつかった、3人の巫女が並んで座っている埴輪(三人童女)は非常に珍しいもの。

副葬品も盗掘を免れ、群馬県綿貫観音山古墳出土品として国宝に指定。
発掘された銅水瓶(どうすいびょう)は、中国・南北朝時代の庫狄廻洛墓(こてきかいらくぼ)から同類の水瓶が発見さることから中国伝来と考えられ、国内最古の水瓶で、古墳出土でほぼ完形品であるのは観音山古墳出土のみ。

出土した獣帯鏡(じゅうたいきょう)は、百済(くだら)の武寧王陵(ぶねいおうりょう)出土の獣帯鏡と同型鏡(どうけいきょう)。
頂部に突起が付いた独特な形の鉄冑(てつかぶと)は、国内で製作された冑とは異なり、やはり朝鮮半島伝来と推測されています。
鉄地金銅張心葉形鏡板付轡(てつじこんどうばりしんようけいかがみいたつきくつわ)、金銅心葉形杏葉(こんどうしんようけいぎょうよう)、金銅歩揺付飾金具(こんどうほようつきかざりかなぐ)などの馬具、銅三累環頭大刀(どうさんるいかんとうたち)は、朝鮮半島・新羅(しらぎ)で多数の類例があり、朝鮮半島や中国との交流の一端ををうかがわせる重要な史料となっています。

出土品の一部は、群馬の森にある群馬県立歴史博物館に収蔵展示されています。

横穴式石室の玄室(長さ8.2m、幅3.8m、高さ2.3m)は群馬県内では最大規模で、欽明天皇陵とされている五条野(見瀬)丸山古墳(奈良県橿原市)の玄室と同じ平面規模を有しています(高さは半分)。
石室の天井は、高崎市吉井町の牛伏砂岩の巨石(最大の石は重さ25t)を6個も使い、十数キロを運んできたことがわかっています(壁石は榛名山の火山岩)。
舟を使い、橇(そり)で引き上げたと推測されていますが、大工事であったことは容易に想像できます。

ビジターセンターとして「史跡観音山古墳管理学習センター」があるのであわせて見学を。

綿貫観音山古墳出土の獣帯鏡(左)と、百済・武寧王陵の獣帯鏡(複製品)/群馬県立歴史博物館
綿貫観音山古墳
名称 綿貫観音山古墳/わたぬきかんのんやまこふん
所在地 群馬県高崎市綿貫町1752
関連HP 高崎市公式ホームページ
ドライブで 関越自動車道高崎玉村スマートICから約3km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 史跡観音山古墳管理事務所 TEL:027-347-1134
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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