明石城は元和2年(1619年)、徳川家康の曾孫で明石、三木、加古、加東の4郡10万石を領した小笠原忠真(おがさわらただざね)が将軍家と姫路藩・本多家の支援を受けて築いた城が明石城。城跡は県立明石公園として整備され、往時のままに現存する東西の隅櫓(すみやぐら)2基は国の重要文化財に指定されています。日本100名城に選定。
明石の町割りには宮本武蔵も参画
信濃松本藩から明石藩へ転封された小笠原忠真が、2代将軍・徳川秀忠の命で、将軍家から銀一千貫を支給され、譜代大名たる小笠原氏10万石の居城として築かれたのが明石城。
義父にあたる姫路城主・本多忠政と相談しながら人丸山への築城(縄張り)から町割りまでを行なっています。
『赤石市中記』、『播磨鑑』、『播州明石記録』、『小笠原忠真一代覚書』などの史書には宮本武蔵が、初代城主・小笠原忠政に招かれ、明石の町割りや城内樹木屋敷の設営に参画したと記されています。
樹木屋敷とは城主の遊興所で、御茶屋、鞠の懸り(まりのかかり=蹴鞠をする場所)、築山、泉水、滝などが築かれていました。
現在の明石公園陸上競技場あたりに樹木屋敷がありましたが、それを再現したのが「明石城武蔵の庭園」です。
小笠原家が寛永9年(1632年)、豊前小倉藩(小倉城)に転封となると、その後藩主は目まぐるしく変わりますが、松平直明が6万石で入城し、以降明治維新まで10代にわたって親藩・松平氏の居城となりました。
東南隅の巽櫓、南西隅の坤櫓は国の重要文化財に指定
明治7年には廃城令で廃城になり、大正7年4月15日に県立明石公園になっています。
船上城の櫓を再生した巽櫓(たつみやぐら)、伏見城から移築されたという坤櫓(ひつじさるやぐら)は、国の重要文化財。
坤櫓は天守が造られなかった明石城では最大の櫓で、まさに代用天守。
明石城本丸跡を中心に宮本武蔵がつくったという樹木屋敷を再現した「明石城武蔵の庭園」、芝生広場やこども広場、野球場、テニスコート、陸上競技場、球技場などを備えた約55haが県立明石公園として整備されています。
ソメイヨシノは公園内に1200本が植栽され「さくらの名所100選」にも選ばれています。
県立明石公園(明石城) | |
名称 | 県立明石公園(明石城)/けんりつあかしこうえん(あかしじょう) |
所在地 | 兵庫県明石市明石公園1-27 |
関連HP | 明石公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR、山陽電鉄明石駅から徒歩3分 |
ドライブで | 第2神明道路大蔵谷ICから約4.6km |
駐車場 | 南駐車場(公園協会、366台/有料)、北駐車場(県営、134台/有料) |
問い合わせ | 県立明石公園 TEL:078-912-7600/FAX:078-913-6620 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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