サイトアイコン ニッポン旅マガジン

兵庫津遺跡(古代大輪田泊跡)

兵庫津遺跡(古代大輪田泊跡)

兵庫県神戸市兵庫区中之島2丁目、現在、イオンモール神戸南が建つ一帯が、兵庫津遺跡(古代大輪田泊跡)。平成15年に兵庫津遺跡(ひょうごのついせき)で古代大輪田泊跡と推測される遺構が発掘され、古代から中世の瀬戸内海航路の港湾・兵庫津(現在の神戸港)の場所が特定されたのです。

平清盛は大輪田泊を日宋貿易の拠点に!

古代の瀬戸内海航路は、大阪にあった難波ノ津(なにわのつ)を出た船団は、先ず摂播五泊(河尻(尼崎)・大輪田(兵庫津)・魚住(明石)・韓(的形)・室ノ津(室津)の一つ大輪田泊に停泊し、室ノ津(現在の兵庫県たつの市御津町)を目ざしました。

遣隋使や遣唐使の船団も難波ノ津(大阪)から那ノ津(大宰府)まで、600kmを風を読みながらなんと1ヶ月かけて航海していたのです。

『日本後紀』によると、弘仁3年(812年)、嵯峨天皇は大輪田泊に港の修築使を派遣し、勅命で日本初の国営事業として泊(港湾施設)の修築が行なわれ、天長5年(828年)には淳和天皇が空海を泊の造船瀬所別当に任じ、港湾整備の指導監督にあたらせています。

兵庫津は、古くは大輪田泊と呼ばれましたが、平安時代の終わり頃、平清盛によって日宋貿易の拠点とされ、鎌倉時代以降は兵庫津として瀬戸内舟運の要衝として栄えました。
室町時代、足利義満の時代には日明貿易でも栄え、現在の神戸港の前身である港も、日宋貿易、日明貿易の拠点、つまりは国際貿易港だったことがわかります。
安土桃山時代には兵庫城が築城され、城下町が整備され、江戸時代には北前船などの西回り航路が発展し、さらに賑わいました。

平成15年に幅3mを超す溝2本と、柱の跡を示す穴5個、土器の破片約80点が出土、2本の溝は、幅3.1m~3.4m、深さ1mで、5m間隔で掘られていました。
穴は溝の北12mにあり、丸い穴が2つ、四角い穴が3つ備わり、溝は、防波堤か排水施設、あるいはドック跡、穴は港湾関連の官舎跡と推定されています。

大輪田泊への宋船の入港が確認されるのは、嘉応2年(1170年)9月のこと。
後白河上皇も宋人を謁見するために福原京に出向いています。

兵庫津遺跡(古代大輪田泊跡)
名称 兵庫津遺跡(古代大輪田泊跡)/ひょうごのついせき(こだいおおわだとまりあと)
所在地 兵庫県神戸市兵庫区芦原通1
電車・バスで JR兵庫駅から徒歩13分
ドライブで 阪神高速道路3号神戸線柳原出口から約1.5km
問い合わせ 神戸市兵庫区まちづくり課 TEL:078-511-2111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

古代大輪田泊の石椋

兵庫県神戸市兵庫区にある平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて日宋貿易で栄えた大輪田泊(おおわだのとまり)の遺構。石椋(いしくら)とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設。古代大輪田泊の石椋と名付けられた花崗岩の巨石は、

来迎寺(築島寺)

兵庫県神戸市兵庫区島上町にある浄土宗西山派の寺、来迎寺(築島寺)。かつては三川口(兵庫区三川口町)の島にあり、経島山という山号から旧寺地が平清盛が築いた経ヶ島とも推測できる古刹です。その際、人柱となった松王の墓所として創建されたのが築島寺で

兵庫城・初代兵庫県庁跡

摂津国八部郡兵庫津、現在の兵庫県神戸市兵庫区中之島の兵庫津にあった戦国時代の城跡が兵庫城(ひょうごじょう)。謀反を起こし、小寺孝隆(黒田官兵衛)を有岡城に幽閉した荒木村重を攻略した功績で、池田恒興(いけだつねおき)が築城しています。兵庫城の

雪見御所跡(湊山小学校)

兵庫県神戸市兵庫区雪御所町にある湊山小学校一帯は、平清盛の雪見御所跡。平清盛は仁安2年(1167年)、太政大臣をわずか就任3ヶ月で辞して能福寺(のうふくじ)で出家し隠居。本宅は京に残し(西八条第=現在の梅小路公園一帯にあり、仁安元年頃に建て

新川運河キャナルプロムナード

兵庫県神戸市兵庫区にある新川運河は、兵庫運河の一部として明治8年に神田兵右衛門(こうだひょうえもん)の発案で開削された全長1530mの運河。新川運河沿いの入江橋~大輪田橋間には全長350m、幅約55mの新川運河キャナルプロムナードが整備され

兵庫県立兵庫津ミュージアム・初代県庁館

兵庫県神戸市兵庫区中之島2丁目に令和3年11月3日にオープンした兵庫県のルーツを示す復元施設が、兵庫県立兵庫津ミュージアム・初代県庁館。『兵庫勤番所絵図』などの史料に基づいて時代考証を行ない、歴史空間を体感する施設として復元したミュージアム

柳原蛭子神社

兵庫県神戸市兵庫区西柳原町、「柳原のえべっさん」(柳原えびす)と通称される西国街道の柳原にある神社が、柳原蛭子神社。柳原は兵庫津の西端に位置し、兵庫津の西国街道の出入口として栄え、近世には柳原惣門が建っていた場所。1月9日~11日の『十日え

兵庫津柳原惣門跡

兵庫県神戸市兵庫区西柳原町、柳原蛭子神社(柳原えびす)の社前が、兵庫津柳原惣門跡。兵庫津の町の西の玄関口で、西国街道が屈曲する場所には惣門と呼ばれる門がありました。惣門は平時には兵庫津の玄関の装飾門となり、戦時となると町と外部を遮断する防衛

福海寺

兵庫県神戸市兵庫区西柳原町、西国街道の柳原惣門跡・柳原蛭子神社の北に建つ臨済宗南禅寺派の寺が、福海寺(ふくかいじ)。正式名は福海興国禅寺で、康永3年(1344年)、足利尊氏が兵庫津(兵庫城)に創建、足利義満など歴代の足利将軍の尊崇を受けたと

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了