兵庫県姫路市白国にある天台宗の寺が、随願寺(ずいがんじ)。寺伝によれば、厩戸皇子(うまやどのおうじ=聖徳太子)の命で高麗僧・慧便(えべん)が開基した増位寺が前身で、行基中興という古刹。当初は法相宗でしたが承和元年(834年)、仁明天皇の命で天台宗に転じ、嘉承2年(849年)、随願寺に。
江戸時代初期に再建された伽藍が現存!
播磨天台六山(円教寺、随願寺、八葉寺、普光寺、一乗寺、神積寺)のひとつとして繁栄し、鎌倉時代の乾元元年(1302年)に記された『播州増位山随願寺集記』によれば、宇多法皇、白河法皇などの行幸、平清盛による伽藍修造、源頼朝による一切経奉納という歴史を伝えています。
往時の伽藍は、天正元年(1573年)、織田信長に従う三木城主・別所長治(べっしょながはる)に攻められ焼失破却されていますが、天正13年(1585年)、羽柴秀吉が再興。
現存する本堂は、元禄5年(1692年)に再建された大型仏堂で、国の重要文化財。
開山堂、経堂、鐘楼、唐門、木造毘沙門天立像も国の重要文化財となっていて、文化財の宝庫。
開山堂は、平成9年度からの解体修理の際に承応3年(1654年)の墨書と、寛永18年(1841年)の墨書が発見され、随願寺でも最古級の建物であることが判明しています。
姫路藩主・榊原忠次(さかきばらただつぐ=徳川四天王・榊原康政の孫)は、母が徳川家康の姪という家柄で、慶安2年(1649年)に姫路藩主に。
藩主になった際に、随願寺を菩提寺として定め、寺領289石を与え、本殿左奥には榊原忠次の墓所もあります。
榊原忠次の事跡を刻んだ碑文は幕府の儒学者で、「日本三景」を定めた林鵞峰(はやしがほう/『本朝通鑑』などの編纂を主導)によって作成されたもので、墓碑銘の長いことでも有名。
黒田官兵衛の叔父・小寺高友ゆかりの地
黒田官兵衛の叔父・小寺高友(こでらたかとも)はこの随願寺近く、随願寺の建つ増位山と峰でつながる標高250mの山頂有明山城を築き、随願寺地蔵院で安芸法印休無(小寺休夢)と称する僧侶をしていました。
その後、天正元年(1573年)、別所長治による有明山城落城、随願寺破却により、織田方に下り、羽柴秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)を務めています。
随願寺 | |
名称 | 随願寺/ずいがんじ |
所在地 | 兵庫県姫路市白国5 |
関連HP | 姫路市公式ホームページ |
ドライブで | 播但連絡道路砥堀ランプ約5km、豊富ランプから約6km |
駐車場 | 40台/無料 |
問い合わせ | 随願寺 TEL:079-223-7187 |
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