上月城

上月城

兵庫県佐用郡佐用町にある山城で土塁、石垣、空濠などが現存するのが、上月城(こうづきじょう)。延元元年(1336年)、赤松氏の一族・上月景盛が築城。天正6年(1578年)には、毛利輝元と織田方の尼子勝久との間で、上月城の戦いが行なわれ、落城し、廃城となっています。

戦国時代には毛利氏、織田氏攻防の最前線に

弘治3年(1557年)、赤松政元(あかまつまさもと)が、置塩城(おしおじょう/現・姫路市)から入城。
子・赤松政範(あかまつまさのり)は、佐用・赤穂・揖東・揖西・宍粟の5郡を領有しますが、天正5年(1577年)、羽柴秀吉軍の攻撃を受け、軍師・黒田官兵衛の活躍もあって落城しています。

その後、尼子勝久(あまごかつひさ)が入城するも、毛利輝元の大軍に囲まれ落城、尼子勝久も自害しています(救援の羽柴秀吉も三木城攻略のため撤退)。
「山陰の麒麟児」と呼ばれた山中鹿介幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)も生け捕りとなり、鞆の浦に陣取る毛利輝元への護送途中、備中国合(阿井)の渡(現・岡山県高梁市)にて謀殺されています。

その後、上月城は廃城となり、本丸跡に赤松氏の供養塔、麓に尼子氏の供養塔が残されています。
上月城跡歴史と自然の遊歩道が整備され、登城口(「上月歴史資料館」横)から本丸跡へは徒歩20分。

上月城
名称 上月城/こうづきじょう
所在地 兵庫県佐用郡佐用町寄延
関連HP 佐用町公式ホームページ
電車・バスで JR上月駅から徒歩15分で登山口
ドライブで 中国自動車道佐用ICから約8km
駐車場 上月歴史資料館駐車場(無料)を利用
問い合わせ 佐用町商工観光課 TEL:0790-82-0670
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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