佐用城(福原城)

佐用城(福原城)

兵庫県佐用郡佐用町(さようちょう)にある中世の城跡が佐用城(福原城)。建武年間(1334年~1338年)に佐用範家(さようのりいえ)が築城した平山城。赤松氏36人衆のうちの福原氏が城主となったため福原城とも呼ばれています。黒田官兵衛、竹中半兵衛、「両兵衛」による城攻めでも知られています。

黒田官兵衛が先陣を務めた城攻めの地

天正5年(1577年)、羽柴秀吉の命により、黒田官兵衛、竹中半兵衛のいわゆる「両兵衛」による城攻めが行なわれ、城主・福原則尚(ふくはらのりなお)は城に自ら火を放ち菩提寺の円福寺にて自刃しています。

佐用城(福原城)の城跡には空濠、土塁、馬落としが現存するほか、福原則尚の首級(しゅきゅう)を祀る福原霊社が鎮座しています。
佐用城(福原城)の城跡は佐用福祉会いちょう園の南東に位置していますがが、国道からのアクセス道が狭いため、いちょう園北側の国道沿いの駐車公園に車を置いて徒歩で向かうのが無難。

佐用城(福原城)
名称 佐用城(福原城)/さようじょう(ふくはらじょう)
所在地 兵庫県佐用郡佐用町佐用
関連HP 佐用町観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR佐用駅から徒歩15分
ドライブで 中国自動車道作用ICから約3.5km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 佐用町商工観光課 TEL:0790-82-0670
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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