篠山城・大書院

篠山城・大書院

徳川家康の命により、池田輝政が普請総奉行を務め、天下普請で築かれた篠山城。天下慶長14年(1609年)、篠山城築城と同時に完成したのが大書院です。籠城時に天守は不要という家康の考えから、天守も持たない実戦的な城でしたが、家康の隠し子との説もある松平康重が城主になるとあって、創建時に見事な書院が築かれています。

二条城二の丸御殿、名古屋城本丸御殿と並ぶ豪華な書院

篠山城・大書院
篠山城・大書院

大書院は明治維新後も破却を免れ、篠山尋常小学校、そして明治43年からは多紀郡公会堂として活用されていましたが、昭和19年1月6日夜に失火により焼失。
平成12年3月に篠山市民の情熱と寄付で再建されました。

その規模は、武家風書院造の双璧といわれる京・二条城の二の丸御殿、名古屋城の本丸御殿に次ぐ規模で、一大名の書院としては破格の規模を誇っていました。

古絵図、古写真、発掘調査などの資料を総合的に判断し、入母屋造 、杮葺き(こけらぶき)の大書院が復元されています。
上段の間には、江戸時代初期の狩野派絵師が描いた屏風絵を障壁画として配置し、往事の雰囲気を再現させています。

築城当時、畿内と中国の結節点に位置した篠山城は、西国諸大名と大坂城を分断する要(かなめ)でした。
縄張(なわばり)奉行は築城の名手、藤堂高虎(とうどうたかとら)が務め、家康の力の入れ方がよくわかります。
天守台の石垣を築きながらも攻撃目標となる天守を建てず、代わりに大書院で幕府の威厳を示したといえるのです。

5万石の小藩だった篠山藩に無用の長物だった天守、それに比べて豪華過ぎる規模の大書院、このアンバランスの理由を探るためにもぜひ見学を。

篠山城・大書院
焼失前の大書院
篠山城・大書院
名称 篠山城・大書院/ささやまじょう・だいしょいん
所在地 兵庫県篠山市北新町2-3
関連HP 篠山市観光情報サイト
電車・バスで JR篠山口駅から神姫バス篠山行きで15分、二階町下車、徒歩5分
ドライブで 舞鶴若狭自動車道丹南篠山口ICから約5.3km
駐車場 三の丸西駐車場(400台/有料)
問い合わせ 篠山城大書院 TEL:079-552-4500/FAX:079-552-5110
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
篠山城

篠山城

2018年5月17日

 

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