兵庫県宍粟市波賀町にある中世の山城跡を公園化したのが波賀城史蹟公園。姫路と鳥取を結ぶ因幡街道(いなばかいどう)を眼下にする城山に築かれた山城、波賀城の城跡で、山麓から遊歩道が整備され、山上の城郭には二層櫓(波賀城学習資料館)、冠木門などが復元されています(登城可能時間があります)。
復元二層櫓の内部は「波賀城学習資料館」に
波賀城は弘長年間(1261年〜1263年)、芳賀七郎が築城し、武蔵国秩父郡から移り住んだ丹党中村氏(播磨中村氏)の居城となり、戦国時代まで使われた中世の山城。
『吾妻鏡』には、中村時経が平家追討軍での活躍が記され、波賀庄に地頭職を得て、中村光時が武蔵国から移り住んだのだと推測されています。
天正8年(1580)、三木城(三木合戦)攻略の後、織田信長の命による羽柴秀吉の播磨・但馬平定時に廃城になったとも推測できますが、いつ廃城になったかは定かでありません。
山頂の主郭を中心に、帯状に取り巻くように郭が配置されていますが、平成3年の発掘調査で、北側の郭に石垣が築かれていることが判明しています。
檜皮葺き(ひわだぶき)、二層櫓の内部は、「波賀城学習資料館」として波賀城の歴史を紹介するパネル、発掘調査の史料などが展示されています。
石垣の隅角が直角ではなく、鈍角になったシノギ角(ずみ)の石垣(復元)にも注目を。
安土城の主郭部の外周り、洲本城にも用いられる戦国時代の石垣の積み方です。
駐車場から15分ほどあるけば主郭に到達するので、手軽に中世の山城を味わうことのできる貴重なスポットになっています。
波賀城史蹟公園 | |
名称 | 波賀城史蹟公園/はがじょうしせきこうえん |
所在地 | 兵庫県宍粟市波賀町上野2-51 |
関連HP | 宍粟市公式ホームページ |
ドライブで | 中国自動車道山崎ICから約25km |
駐車場 | 15台/無料 |
問い合わせ | 波賀文化創造センター TEL:0790-75-3688 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag