雲部車塚古墳

雲部車塚古墳

 兵庫県丹波篠山市にある墳丘長140m(元は3段築成で墳丘長158m)という巨大な前方後円墳が、雲部車塚古墳(くもべくるまづかこふん)。丹波地方では最大、兵庫県では五色塚古墳(神戸市垂水区/4世紀後半築造)に次ぐ、第2位の巨大古墳で、5世紀中葉(古墳時代中期)の築造。

兵庫県第2位の巨大古墳は、篠山盆地に

明治33年に宮内庁から第9代開化天皇の孫である丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと=四道将軍のひとりで、丹波に派遣)の陵墓参考地に治定され、陵墓内の立ち入りはできません。

明治29年に試掘した際に、後円部の中央より少し南の位置に竪穴式石室があり、四方に縄掛突起の付いた長持型石棺が安置され、甲冑や刀剣、槍などの副葬品があることが確認されています。
皇族の墓とする説は明治以降に生まれたもので、石棺を開いての発掘調査は行なわれず、明治33年に被葬者を特定しないまま陵墓参考地に治定されています(棺の蓋は開けられなかったので、今も王は豪華な副葬品とともにその中に眠っています)。

周囲に幅27mほどの濠を巡らしているほか、左右に2基の陪塚(ばいちょう=主墳に付属する近親者や従者の墳墓)が築かれています(もとは7基の陪塚がありましたが、失われています)。
墳丘表面から葺石・埴輪が出土し、墳丘には円筒埴輪が巡らされ、斜面には石が葺かれていました。
埋葬施設は竪穴式石室で、内部に組合式の長持形石棺が配されています(明治29年に発掘)。


考古学的には、ヤマト王権から派遣された人物の可能性が推測されていますが、丹波道主命が活躍した時代は4世紀前半のため、かなりのズレが生じます。

4世紀頃の丹波・丹後(律令制以前は全体が丹波国)では、「丹後三大古墳」と称される蛭子山古墳(京都府与謝郡与謝野町)、網野銚子山古墳(京都府京丹後市)、神明山古墳(京都府京丹後市)が丹後半島に築造されていますが、5世紀(秦氏が亀岡市域の桂川の治水工事を実施)になると、篠山盆地に雲部車塚古墳が出現しています。

雲部車塚古墳の埋葬施設に関しては兵庫県立考古博物館の「国の成り立ち」コーナーで復元された石棺が展示されています。

兵庫県では五色塚古墳(神戸市、194m)、雲部車塚古墳(推定158m)、壇場山古墳(姫路市、143m)が三大古墳です。

雲部車塚古墳
名称 雲部車塚古墳/くもべくるまづかこふん
所在地 兵庫県丹波篠山市東本荘782
関連HP 丹波篠山市公式ホームページ公式ホームページ
電車・バスで JR篠山口駅から神姫バス篠山営業所行きで25分、東本荘下車、徒歩7分
ドライブで 舞鶴若狭自動車道丹南篠山口ICから約13km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 篠山観光案内所 TEL:079-552-3380
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
兵庫県三大古墳

兵庫県三大古墳とは!?

古代の明石国、丹波国(後に丹波、丹後に分割)、針間国(播磨国)に築かれた巨大な前方後円墳が、神戸市垂水区の五色塚古墳(墳丘長194m)、丹波篠山市の雲部車塚古墳(推定墳丘長158m)、姫路市の壇場山古墳で、ヤマト王権と密接な関係のあった首長

壇場山古墳

壇場山古墳

兵庫県姫路市御国野町国分寺にある全長143mの前方後円墳で、西播磨では最大の古墳が壇場山古墳(だんじょうざんこふん)。5世紀前半の築造と推測され、幅20mほどの周濠を巡らし、その外側には周庭帯を有していました。神功皇后の西征の際に、この塚に

五色塚古墳

五色塚古墳

明石海峡に臨む神戸市垂水区にある巨大な前方後円墳が五色塚古墳。墳丘長194m、前方部の高さ11.5m、後円部の高さ18mで兵庫県下最大の前方後円墳で、周囲に幅10mの堀を巡らせています。4世紀末〜5世紀初頭にかけて築造されたもので、明石の国

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ