新規の城郭建設、天守の築城が困難になった一国一城令の出た後の元和8年(1622年)に竣工した福山城の天守。明治維新の取り壊しも免れた天守(戦前は国宝)は、昭和20年8月8日の福山大空襲で惜しくも焼失。昭和41年に市制50周年を記念して復興し、内部は博物館として公開されています。
戦後の復興天守は、博物館としての役割が強い模擬天守
福山城の天守は、徳川家康の従兄弟(いとこ)にあたる水野勝成が建築ということで、名目上は4重5階、実質的には5重5階地下1階という壮大な天守でした。
南側は瀬戸内海ですが、北側に山が迫り、砲撃に弱いという弱点があったため、鉄板が最上層を除いた壁面全体に張られ、北側から見ると黒い天守がそびえ立っていたと推測されます。
西国監視という役割を担った実戦的な外観ですが、上層には床の間を置くなど、太平の世の譜代大名たる風格を漂わせていました。
城郭建築技術の完成形ともいえる貴重な天守は戦前は国宝になっていました。
広島原爆投下直後の昭和20年8月8日深夜の福山大空襲(B-29爆撃機91機が襲来)で、焼夷弾2発が命中し炎上。
最上階は展望台で、間近に新幹線の福山駅を眺望
昭和41年にかなり往時と異なる外観で、コンクリート造りの復興天守が建てられました。
同時代に建設された復興天守の中でも、外観の不正確さでは最たるものという不名誉な建物となってはいますが、内部は福山城博物館として藩政時代の文化財を展示保存する施設となり、福山城と福山藩の歴史を学ぶことができます。
地階から中4階までは常設展示スペースで、福山の歴史資料を展示。
最上階は展望台となり、本丸を眼下に福山市街を一望にします。
天守の北側には、旧天守の礎石が移築保存されています。
築城当初に城主の居館だった本丸御殿は再建されず、表向礎石一帯が芝生と石畳で整備されています(礎石の並びは復元されていません)。
福山城天守(福山城博物館) | |
名称 | 福山城天守(福山城博物館)/ふくやまじょうてんしゅ(ふくやまじょうはくぶつかん) Fukuyama-jo Castle Museum,Fukuyama-jo Castle castle tower |
所在地 | 広島県福山市丸之内1-8 |
関連HP | 福山城博物館公式ホームページ |
電車・バスで | JR福山駅北口から徒歩5分 |
ドライブで | 山陽自動車道福山東ICから約6.8km |
駐車場 | ふくやま美術館・広島県立歴史博物館駐車場(40台/有料)、ふくやま文学館駐車場(30台/有料) |
問い合わせ | 福山城博物館 TEL:084-922-2117/FAX:084-922-2126 |
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