慶応3年4月23日(1867年5月26日)、坂本龍馬ら「海援隊」メンバーを乗せた蒸気船「いろは丸」が、備讃瀬戸(箱崎と六島の沖合)で紀州藩の軍艦「明光丸」と衝突した「いろは丸事件」。龍馬と乗組員は、明光丸で鞆の浦に上陸。その際、龍馬ら海援隊に隠れ部屋を提供したのが、廻船問屋・枡屋清右衛門。桝屋清右衛門宅が現存。
龍馬が身を潜めた2階の部屋を見学
事故責任をめぐって紀州藩と交渉するにあたり、軍艦「明光丸」、「いろは丸」という2隻の蒸気船は備後の鞆の浦を目指しますが、途中、宇治島の南4kmの地点で、明光丸にロープで曳航された「いろは丸」が沈没。
坂本龍馬は紀州藩との交渉にあたり(本来の事故原因は「いろは丸」側にありましたが、龍馬は強気の態度で土佐藩の過失だと追求しています)、暗殺される危険もあったため、桝屋清右衛門宅の2階に身を潜めていたと伝えられています。
邸宅は往時のままで、龍馬が潜伏した屋根裏部屋も現存し、一般に公開されています。
廻船問屋「桝屋」は土佐藩や薩摩藩、大洲藩などとも取引があったと推測でき、その縁で龍馬の滞在先となったと推測できます。
宝暦14年(1764年)の11次朝鮮通信使が鞆を訪れた際にも、対馬藩御船奉公輿添役や買物方三使附通詞が、「桝屋」を宿泊先にしています。
土間スペースを使って「gallery shop MASUYA」も営業。
いろは丸事件に関しては、「いろは丸展示館」で詳しく解説されています。
桝屋清右衛門宅(龍馬の隠れ部屋) | |
名称 | 桝屋清右衛門宅(龍馬の隠れ部屋)/ますやせいえもんたく(りょうまのかくれべや) |
所在地 | 広島県福山市鞆町鞆422 |
関連HP | 龍馬の隠れ部屋 桝屋清右衛門宅公式ホームページ |
電車・バスで | JR福山駅から鞆港行きバスで30分、鞆の浦下車、徒歩2分 |
ドライブで | 山陽自動車道福山東ICから約15kmで福山市鞆の浦第2駐車場 |
駐車場 | 福山市鞆の浦第2駐車場(20台/有料) |
問い合わせ | 桝屋清右衛門宅 TEL:084-982-3788 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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