紀伊国分寺跡

紀の川市東国分にある紀伊国分寺跡は、741(天平13)年、聖武天皇の国分寺建立の詔(みことのり)により紀の川の河岸段丘上に建立され、756(天平勝宝8)年に伽藍が完成した紀伊国の国分寺の跡。発掘調査から、南門、中門、金堂、講堂、僧坊が一列になって並んでいたことが判明しています。

一帯は紀伊国分寺跡歴史公園として整備

僧坊跡
鐘楼跡

1585(天正13)年、織田信長の紀伊侵攻で伽藍を焼失し、元禄年間(1688年~1703年)に講堂跡に後継寺院である紀伊国分寺の本堂が再建されています。

昭和48年〜昭和50年の発掘調査によって寺域が二町四方(約218m四方)と判明。
南から南門・中門・金堂・講堂・軒廊(こんろう)・僧房が並び、金堂の東前方に塔が、金堂の後方に鐘楼と経蔵が配置されていました。

一帯は史跡紀伊国分寺跡歴史公園として整備され、紀の川市歴史民俗資料館では出土遺物や紀伊国分寺の100分の1模型を展示。
紀伊国分寺跡の西800m(岩出市西国分)には西国分塔跡があり、国分尼寺の跡ではないかと推測されています。

さらに和歌山市上野には薬師寺との伽藍配置が似た西塔、東塔を有した上野廃寺跡があり、周辺が古代紀伊国の交通の要所だったことがわかっています。

ちなみに紀伊国の国府は、現在の和歌山市府中、府守神社付近ともいわれるが定かでありません。

塔跡
経蔵跡
 

紀伊国分寺跡 DATA

名称 紀伊国分寺跡/きいこくぶんじあと
所在地 和歌山県紀の川市東国分682
関連HP 紀の川市公式ホームページ
電車・バスで JR和歌山線下井阪駅から徒歩10分
ドライブで 阪和自動車道路和歌山ICから約14km
駐車場 紀の川市歴史民俗資料館(14台)を利用
問い合わせ 紀の川市歴史民俗資料館TEL:0736-77-0090
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
 

 

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