広島県三原市鷺浦町、波打際の花崗岩に彫刻された広島県の重要文化財に指定される地蔵尊が、磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)。石碑に移刻された銘文から正安2年(1300年)に刻まれた地蔵尊だということがわかります。干潮時には波打ち際から、満潮時には向田港から見学可能。
向田港近くの岩に刻まれた地蔵菩薩坐像
刻まれる石は、高さ2.5m、幅4.9m、厚さ3.7mで、半肉彫りで刻まれる地蔵尊坐像は、像高88cmで、広島県立歴史博物館にレプリカが展示されています。
干満差の激しい瀬戸内海のため、満潮時には首まで海水に浸かるので、見学には潮の満ち引きに注意が必要。
頭部のうしろに円光背(えんこうはい)があり、胸に瓔珞(ようらく=魔除けの装身具)を掛け、蓮台上に結跏(けっか=座禅の正しい姿勢)しています。
右手に密教法具の錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ=災難を除き、濁水を清くする、霊験を表す宝の珠)をのせています。
「于時正安二庚子年九月日大願主散位平朝臣茂盛幹縁道俗都合七〇余人仏師念心」と刻まれ、正安2年(1300年)、平茂盛が願主となり、仏師・念心により造立されたことがわかっています。
さらに東西南北各1町(110m四方)では殺生を禁じることなどが刻まれています。
仏師・念心は、米山寺・小早川家墓地の石造宝篋印塔(国の重要文化財)の制作でも知られる鎌倉時代の名仏師です。
今も「和霊石地蔵さん」と親しまれ、7月下旬の土曜、干潮時に法要が執り行なわれています。
ちなみに、和霊地蔵と呼ばれるようになったのは近世のことで、伊予・宇和島(愛媛県)に承応2年(1653年)創建の和霊神社の信仰の影響を受けて、和霊石(割石)地蔵と呼ぶようになったため。
もともとは、鎌倉時代、法然の唱える浄土教の台頭に対抗するために、南都六宗(三論・成実・倶舎・法相・華厳・律の六宗)が民衆救済の一環として地蔵信仰を積極的に取り入れ、西国に地蔵信仰が広がったことが背景にあります。
磨崖和霊石地蔵 | |
名称 | 磨崖和霊石地蔵/まがいわれいしじぞう |
所在地 | 広島県三原市向田地区 |
関連HP | 三原観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 三原港からマルト汽船で25分、向田港下船、すぐ |
駐車場 | あり/無料(向田港) |
問い合わせ | 鷺浦コミュニティセンター TEL:0848-87-5004 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag