北前船で繁栄した北海道江差町。天然の良港で、「江差の春は江戸にもない」というほど北前船の拠点として賑わったのは、港を守る鴎島(かもめじま)があったから。カモメが翼を広げたかたちをしている、海抜20m、周囲2.6kmの小島。細長い翼の部分が防波堤の役目を果たし、天然の良港になっていたのです。
北前船交易を支えた江差のシンボル島
かつては鴎島に弁財天を祀る権現社(現在の厳島神社)があったため、弁天島と呼ばれていました。
現在、鴎島は堤防で江差市街と陸続きで、島を一巡する散策路が設けられています。
堤防を渡り島に入ると、右手海面に突き出しているのが、瓶子岩(へいしいわ)。
江戸時代、ニシン漁不漁の際に、「折居婆」(おりいばあさん)、「於燐姥」(おりんばば)と呼ばれる老婆がニシンの群来(くき)を祈願して神水を海に注いだところ、たちまちニシンが群来(くき)たといいます。
その神水を入れていた瓶子(壺の一種)が岩となったのが瓶子岩という伝承があります。
毎年7月上旬に行なわれる『かもめ島まつり』では、若者達がこの岩の巨大な注連縄(しめなわ)を掛けかえる勇壮な神事が執り行なわれています。
鴎島には島の岩盤に細工した係留柱を入れる穴など北前船の係留杭、北前船への水供給のために明治9年に廻船問屋・村上三郎右エ門が掘った「村上の井戸」なども残されています。
鴎島の島内はゆっくり歩いて一周約2時間。
江戸時代には灯明台があったという鴎島灯台(明治22年9月15日)付近は夕日を眺める絶好のポイントとなっています。
厳島神社(鴎島弁天社)は、元和元年(1615年)、北前船の回船問屋仲間が海上安全、商売繁盛の願いを込め、弁財天社として建立した古社で、江差の繁栄の出発点のひとつ。
境内にある手水鉢手水鉢には方位が付いていますが、方位石と呼ばれるもので、やはり北前船の廻船問屋、村上三郎右エ門の奉納。
この方位石の設置で、鴎島は天候を見定める日和山(ひよりやま)となり、北前船の運航に貢献したのです(北前船の繁栄を伝える貴重な遺構です)。
鴎島弁天社は、北前船船主の尊崇を集めましたが、明治初年の神仏分離で厳島神社と改称されています。
鴎島 | |
名称 | 鴎島/かもめじま |
所在地 | 北海道檜山郡江差町鴎島 |
関連HP | 江差町公式ホームページ |
電車・バスで | JR江差駅からタクシーで5分 |
ドライブで | 函館空港から約80km |
駐車場 | 江差港マリーナ駐車場を利用 |
問い合わせ | 江差観光コンベンション協会 TEL:0139-52-4815 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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