全国に現存するホフマン窯 全4基

全国に現存するホフマン窯 全4基

ホフマン窯は、ドイツ人技師ホフマン(Friedrich Hoffman)が考案したレンガ焼成用の窯で、日本では、火災焼失後の銀座レンガ街建設のために、明治5年、東京・小菅(こすげ)の小菅県庁跡地(現・東京拘置所の敷地)に窯3基を設置したのが始まり。現在国内には4基しか現存していません。

ホフマン窯とは!?

ドイツ人技師ホフマンが開発し、1858年(安政5年)に特許を取得したホフマン窯は、窯の内部に生の煉瓦を積み重ね、上部からコークスを入れてレンガを焼成し、焼き上がると別の区画に移動し次の焼成を行なうという具合に、次々と連続して焼成することができたため、冷めるのを待って取り出し、再び焼成する従来の方法に比べて効率化が図られました。
そのためホフマン輪窯(ほふまんりんよう)とも呼ばれています。

日本では明治初期のお雇い外国人のひとり、トーマス・ジェームズ・ウォートルス(Thomas James Waters=叔父の知り合いがグラバーで、グラバーの紹介で日本で働くように)が、明治3年、大蔵省に雇用され、明治6年「銀座煉瓦街」の建設を行なっていますが、その際にホフマン窯を導入しています。

野木町煉瓦窯(旧下野煉化製造会社煉瓦窯)|栃木県野木町

所在地:栃木県下都賀郡野木町野木3324-1
建設年代:明治22年12月(西窯)、明治23年6月(東窯)/現存する日本最古のホフマン窯
文化財指定:国の重要文化財
「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産などの歩みを物語る近代化産業遺産群」として近代化産業遺産に認定
概要:北関東で初のレンガ工場として建設された東輝煉化石製造所が前身で、明治21年、下野煉化製造会社が現在の野木町に築かれ、ホフマン窯を設置
昭和46年までレンガ製造を続け、廃窯に

野木町煉瓦窯

野木町煉瓦窯

栃木県野木町にある旧下野煉化製造会社煉瓦窯の通称が、野木町煉瓦窯。明治23年〜昭和46年に稼働し、赤煉瓦を生産して日本の近代化に貢献したホフマン式の煉瓦窯です。国の重要文化財、そして「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産などの歩みを物語る近代

日本煉瓦製造会社ホフマン輪窯6号窯|埼玉県深谷市

所在地:埼玉県深谷市上敷免28
建設年代:明治40年
文化財指定:国の重要文化財
経済産業省の近代化産業遺産「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産などの歩みを物語る近代化産業遺産群」にも認定
概要:渋沢栄一が、故郷・血洗島村(ちあらいじまむら=現・深谷市血洗島)にも近く良質な粘土が得られ、利根川水運も利用可能な埼玉県榛沢郡上敷免村(現・深谷市上敷免)を工場地に選定したのが、日本煉瓦製造会社
明治時代に、このホフマン輪窯で焼かれたレンガが使われている現存施設は、鉄道関連では、東京駅丸の内本庁舎、中央本線万世橋高架橋、信越線碓氷峠トンネル群・アーチ橋など。
官公庁で、司法省(現・法務省旧本館)、日本銀行旧館、赤坂離宮(現・赤坂迎賓館)など
月産65万個の製造能力を誇り、昭和43年まで稼働

日本煉瓦製造会社ホフマン輪窯6号窯

日本煉瓦製造会社ホフマン輪窯6号窯

明治21年の操業開始以来、約120年にわたり「レンガのまち深谷」(埼玉県深谷市)の象徴的存在だった日本煉瓦製造株式会社。当時日本が近代化するにあたり、渋沢栄一らによって設立されたレンガ会社で、レンガを焼成したホフマン輪窯6号窯は、国の重要文

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯|滋賀県近江八幡市

所在地:滋賀県近江八幡市船木町東澤田59-1
建設年代:大正5年頃
文化財指定:機械場、事務所、縄縫工場とともに国の登録有形文化財に
経済産業省の近代化産業遺産「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産などの歩みを物語る近代化産業遺産群」にも認定
概要:燃料商の中川長九郎が明治16年、東湖組を組織し、滋賀県下では最初のレンガの焼成を開始。
焼成したレンガを搬出、資材を搬入用に八幡堀・琵琶湖舟運を利用し、焼成の効率化を図るためにホフマン窯を導入
昭和42年までレンガを焼成
窯の排気用に築かれた高さ30mの煙突も現存

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯

滋賀県近江八幡市船木町、八幡堀沿いにレンガ造りの高い煙突がそびえるのが、旧中川煉瓦製造所ホフマン窯(きゅうなかがわれんがせいぞうしょほふまんがま)。大正5年頃に建てられたイギリス積みのレンガ建築で、内部にはホフマン窯が現存しています。煙突の

神崎煉瓦ホフマン式輪窯|京都府舞鶴市

所在地:京都府舞鶴市西神崎
建設年代:大正末期
文化財指定:国の登録有形文化財
経済産業省の近代化産業遺産「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産などの歩みを物語る近代化産業遺産群」にも認定
概要:レンガ焼成を目的に明治30年に開設された京都竹村丹後製窯所の登り窯を大正末期にホフマン式輪窯に改造、軍都として栄えた舞鶴のレンガ建築のレンガを焼成(現存するレンガ建築のレンガを焼成した工場)
昭和33年頃まで現役で稼働し、その後神崎コンクリートに転業した会社敷地内に保存

神崎煉瓦ホフマン式輪窯

神崎煉瓦ホフマン式輪窯

京都府舞鶴市西神崎、由良川橋梁の架かる由良川河口、神崎地区にある明治30年築の登り窯を、大正末期にホフマン式輪窯に改造した遺構が、神崎煉瓦ホフマン式輪窯。鶴の海軍施設などで使われたレンガを焼いた場所で、国の登録有形文化財に指定されるほか、経

全国に現存するホフマン窯 全4基
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