京都にある異色の重要文化財、「本願寺伝道院」とは!?

本願寺伝道院

京都府京都市下京区玉本町、仏具店が並ぶ西本願寺の門前、総門から続く正面通に建つのが、「本願寺伝道院」。国の重要文化財に指定されていますが、その指定名称は、旧真宗信徒生命保険株式会社本館。本願寺を大株主とする真宗信徒生命保険の新社屋として明治44年に建てられたエキゾチックな異色の建物です。

伊東忠太の「建築進化論」を初めて具現化した建築物

本願寺伝道院

設計は東京帝国大学教授・伊東忠太(いとうちゅうた)で、橿原神宮、平安神宮、築地本願寺などとともに現存する伊東忠太建築物のひとつ。

真宗信徒生命保険は明治28年、西本願寺が創立した生命保険会社で、文明開化とともに活発化したキリスト教の慈善活動に対抗する意味合いもあって、生命保険会社が誕生したのです(純利益のうち3割を西本願寺に寄付)。

レンガ造りで、外壁はにレンガ色の化粧タイルが張られ、花崗岩の白帯を回らせるという英国風の様式が基調。
さらに玄関上部のインド風のドーム、そして六角形の塔屋をのせ、中国風の高欄など随所にアジア風の要素を取り込んでいます。
そして、千鳥破風を石造りした日本建築の意匠も。

これらの独創的な配置は、当時伊東忠太が唱えた「建築進化論」(建築を意匠の観点から「西洋系」、「東洋系」、「古代系」に分類、意匠、建築スタイルの変遷を進化主義、折衷主義、帰化主義と捉え、進化主義をとるように論じたもの)に基づく初期の代表作のひとつ。

設計を依頼した時の門主、大谷光瑞(おおたにこうずい)も仏教伝来の道筋を探るべくアジア各地へ探検隊(大谷探検隊)を3回派遣するなど、学究肌。
片や建築家の伊東忠太もアジア、欧米を3年かけて行脚し、各地の建造物を研究し、木造の伝統を石や鉄に替えて進化させるべきだという「建築進化論」に到達していました。

そのふたりの出会いから、伊東忠太の「建築進化論」を初めて具現化した真宗信徒生命保険株式会社本館(現・本願寺伝道院)が生まれたのです。

国の重要文化財に指定された理由も、「日本の建築様式を追究した道程を体現した」から。
雨漏りもあった古建築を修復したのは、建設を請け負った竹中工務店。
当時はまだ社員20人がほどの会社だったとか。

真宗信徒生命保険株式会社本館は、大正時代末期に神田銀行に、その後、京都電燈、京福電気鉄道、関西電力など名だたる企業が入居しましたが、昭和33年に本願寺布教研究所の施設という寺の施設に戻り、昭和37年4月の伝道院設立で伝道院の施設となりました。
平成2年から正式名称が現在の本願寺伝道院に。

通常は非公開ですが、外観だけでも一見の価値があります。
『本願寺伝道院講座TERAKOYA HONGWANJI』を受講すれば内部に立ち入ることができます(撮影は不可)。

ちなみに、真宗信徒生命保険は、幾多の変遷の末、現在は三和グループのT&Dフィナンシャル生命保険となっています。

京都にある異色の重要文化財、「本願寺伝道院」とは!?
名称 本願寺伝道院/ほんがんじでんどういん
所在地 京都府京都市下京区油小路通正面
電車・バスで JR・近鉄・地下鉄京都駅から徒歩15分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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