春日八郎記念公園・『別れの一本杉』歌碑

春日八郎記念公園・『別れの一本杉』歌碑

福島県会津坂下町(あいづばんげまち)の町はずれの一本杉周辺に春日八郎記念公園が整備され、『別れの一本杉』歌碑が立っています。『別れの一本杉』(作詞:高野公男、作曲:船村徹)は昭和30年12月にリリースされた春日八郎のシングル。春日八郎出身地の会津坂下町に、代表曲で自らの人生に重なる歌碑が立っています。

作詞家・高野公男は茨城をイメージして作詞?

春日八郎記念公園・『別れの一本杉』歌碑

50万枚のセールスを記録する爆発的なヒット曲となった『別れの一本杉』。
実は、歌詞に出てくる一本杉は、作詞家・高野公男が故郷・茨城県の風景を思い浮かべて作ったもの(高野公男は、茨城県西茨城郡北山内村=現・笠間市大郷戸出身/生家近くに『別れの一本杉』歌碑があります)。
高野公男は結核を患い、『別れの一本杉』発売の翌年に26歳という若さで夭逝、詳細を知ることはできません。

春日八郎(本名:渡部実)は、大正13年10月9日、会津坂下町塔寺に生誕。
戦時中(13歳の時)に、家計の負担を減らすためエンジニアを志して上京、そして戦後(22歳)、歌手になる夢を叶えるために東京に向かう汽車に乗り込み、ムーラン・ルージュ新宿座に入団し、歌手活動を開始し、昭和27年、『赤いランプの終列車』が大ヒット。
さらに『お富さん』のヒットで紅白歌合戦に初出場、演歌歌手の第一人者となったのです。

春日八郎は、『別れの一本杉』を歌う時、少年時代を過ごした会津の風景を思い浮かべていたのです。
「私はこの曲を、こころよくうたった。自分の血がうたっている、すなおに歌っている、肌でうたっている、裸の心でうたっている、人間的なフィーリングを精いっぱいに吐き出している、そう感じた」(春日の自伝『ふたりの坂道』)。

会津坂下町の名誉町民でもある春日一郎。
会津坂下町では17:00の時報を知らせる防災無線のチャイムに、『別れの一本杉』が使われています。
春日一郎記念公園内には「おもいで館」が建ち、春日八郎のレコード、写真、楽譜、ステージ衣装、トロフィー、愛用のピアノ、化粧道具などが展示され、春日演歌が熱唱できるカラオケコーナーも用意されています(入館無料)。

ちなみに、別れの一本杉』は、ちあきなおみ、香西かおり、三橋美智也、大川栄策、北島三郎、藤圭子、美空ひばり、村田英雄、鳥羽一郎、船村徹、中村美津子、天童よしみ、原田悠里、大月みやこ、細川たかし、五木ひろし、西方裕之らにカバーされています。

『別れの一本杉』 歌詞

一、
泣けた 泣けた
こらえきれずに 泣けたっけ
あの娘(こ)と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた
一本杉の 石の地蔵さんのよ
村はずれ

二、
遠い 遠い
想い出しても 遠い空
必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った娘(ひと)
りんごのような 赤いほっぺたのよ
あの泪(なみだ)

三、
呼んで 呼んで
そっと月夜にゃ 呼んでみた
嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている
あの娘(こ)はいくつ とうに二十(はたち)はよ
過ぎたろに

名称 春日八郎記念公園・『別れの一本杉』歌碑/かすがはちろうきねんこうえん・『わかれのいっぽんすぎ』かひ
所在地 福島県河沼郡会津坂下町船杉554
関連HP 春日八郎記念公園・おもいで館公式ホームページ
ドライブで 磐越自動車道新鶴スマートICから約5km。会津坂下ICから約7km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 春日八郎記念公園・おもいで館 TEL:0242-82-4254/FAX 0242-82-4601
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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