茨城県ひたちなか市、元禄11年(1698年)、水戸藩2代藩主・徳川光圀(とくがわみつくに)によって建てられた別荘「い賓閣」(湊御殿)があった地に残る黒松が、湊公園・湊御殿の松。「い賓閣」(湊御殿)跡地は明治30年4月に湊公園となり、ゆかりの松が往時を偲ばせてくれます。
幕末まで、丘の上には水戸藩の迎賓館「い賓閣」が!
那珂川を見下ろし、太平洋、筑波山や日光連山を望む日和山(ひよりやま)と呼ばれる標高21mの独立丘陵に築かれた「い賓閣」(湊御殿)。
水戸徳川家が藩主となる以前、佐竹氏の時代に、すでに那珂湊の日和山北側に築かれていましたが、徳川光圀の隠居後の元禄11年(1698年)、新たな湊御殿が日和山の中央に築かれたのです。
「い賓閣」の名は、徳川光圀自らの命名で、儒教の経典『書経』の「尭典」に由来し、「い賓」とは謹んで導くの意。
つまりは、応接所、迎賓館という意味合いです。
徳川光圀は、この「い賓閣」を拠点に、領内の巡検もしています。
参勤交代制度が確立された以降も、徳川御三家で江戸に近い水戸藩主は定府制により、江戸府内に常勤し、国元に帰る際には幕府の許可を得て帰国していました。
帰国中に、藩主が那珂湊を訪れた際にはこの「い賓閣」に滞在したのです。
「い賓閣」(湊御殿)は、建坪300坪以上、28部屋という豪壮な屋敷でしたが、元治元年(1864年)、水戸藩最大の内乱、元治甲子の乱(げんじかしのらん=天狗党の乱/那珂湊の戦い)の戦火で焼失。
須磨明石(兵庫県明石市)から苗を取り寄せたという12株の黒松が現存し、湊御殿の松と呼ばれています。
那珂湊市街を一望にする景観は昔のままです。
江戸時代には日和山の東端には異国船監視の船番所も設けられ、囲いで庭園とは仕切られていました。
湊公園・湊御殿の松 | |
名称 | 湊公園・湊御殿の松/みなとこうえん・みなとごてんのまつ |
所在地 | 茨城県ひたちなか市湊中央1-1 |
関連HP | ひたちなか市公式ホームページ |
電車・バスで | ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅から徒歩15分 |
ドライブで | 北関東自動車道ひたちなかICからから約4.3km |
駐車場 | 15台/無料 |
問い合わせ | ひたちなか市観光振興課 TEL:029-273-0111/FAX:029-276-3072 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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