省電→国電→E電、今は何になった!?

JRが誕生する以前、国鉄時代には「国電」と呼ばれる電車がありました。それ以前の鉄道省時代には省線電車、省電、さらにその前の鉄道院時代には院電と呼ばれた時代がありました。東京、大阪圏の近距離電車を表す言葉で、JR誕生時にはE電などという言葉も生まれましたが、今では完全に死語に。

103系は代表的な国電の顔

国鉄103系電車
川越線を走る国鉄103系電車

山手線は1925年11月1日に環状運転を開始していますが、院電と呼ばれたてのはそれ以前のこと。
省電という名が誕生したのは関東大震災前の1920年5月15日なので、山手線の循環運転が始まった頃は、省電時代ということになります。

国電は、国鉄の電車の総称という考えもあるでしょうが、正確には中距離電車(中電)に対する近郊区間を運転する電車のこと。
首都圏では東海道本線、高崎線などは中電、山手線、京浜東北線、中央線快速、総武線などが国電と呼び分けていました。

戦前でいえば、国鉄72系電車、戦後は1957年に登場の101系(カルダン駆動方式などの近代的メカニズムを搭載)、その後継となる103系が代表的な国電の車両です。
103系は、1963年〜1984年に3447両が製造され、国鉄時代の首都圏、大阪圏の通勤通学ラッシュの足となりました。
山手線では国鉄分割民営化(1987年)前の1985年に、軽量ステンレス構造の205系電車(電気指令式ブレーキを国鉄車両として初採用)が投入され、1988年に103系が一般営業運転を終了しています。
余剰の103系は横浜線、武蔵野線に投入され、輸送力強化が図られました。
ちなみに、武蔵野線の車両が「お古」、「中古車両のたまり場」のイメージなのは、以降もこうした転属車両の活躍の場となっているからです。

ほとんど普及しなかったE電は、分割民営化時に国電に代わる言葉としてJR東日本が決めた愛称(造語)。
分割民営化時の新名称募集では、1位「民電」、2位「首都電」、3位「東鉄」で、E電は上位には入っていませんでした(20位にE電)。
E電のEには、East(JR東日本)、Electric(電車)、Enjoy(楽しむ)などが込められたと説明されましたが、普及することはなく、今では言葉の存在を知る人すら少数派に。
英語表記ではINTRA-CITY AND suburban TRAINS(都市近郊区間列車)としています。

E電はあくまで、JR東日本の愛称で、JR西日本は「アーバンネットワーク」を採用しましたが、こちらも死後に。

『JR時刻表』(交通新聞社発行)の「普通運賃の計算」ページにも「東京の電車特定区間(E電)」の表記があり、実はJR東日本内部では東京駅〜高尾駅の中央線快速を「E電線」と呼ぶなど、今もこの呼称は健在です。

では、死語となったE電に代わり、現在の呼称はといえば、一般には山手線などの線名が使われるのとともに、JR線と総称されています。
相模線、川越線のような非電化区間の消滅、Suicaの普及、東京近郊区間の拡大などもあって、あえて、呼び分ける必要がないというのが現代の鉄道事情なのかもしれません。

武蔵野線を走る国鉄103系電車
省電、国電、E電、今は何になった!?
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