『真田丸』『真田太平記』を知る! 「犬伏の別れ」の新町薬師堂(栃木県佐野市)

関ヶ原の合戦前に、真田家では父・真田昌幸(『真田丸』では草刈正雄、『真田太平記』では丹波哲郎)、長男・真田信之(信幸/『真田丸』大泉洋、『真田太平記』渡瀬恒彦)、真田信繁(真田幸村/『真田丸』堺雅人、『真田太平記』草刈正雄)が会議。親子が別れて東西決戦に挑む決意を固めます。その場所が現在の栃木県佐野市にあります。

上田駅前(長野県上田市)の「真田幸村公騎馬像」

上田駅前(長野県上田市)の「真田幸村公騎馬像」

石田三成からの密書で親子が決別

慶長5年(1600年)、徳川家康(『真田丸』内野聖陽、『真田太平記』)の発した上杉征伐の号令に従い、真田昌幸と真田信繁(真田幸村)は居城とする上田城を出発。
途中沼田城を居城とする真田信之と落ち合い、徳川秀忠(『真田丸』星野源、『真田太平記』中村梅雀)の軍と合流するため日光例幣使街道(当時はまだ例幣使街道の名はありません=徳川家康の没後の街道名)を進み、下野国犬伏宿の大庵寺(佐野市犬伏下町2285)に陣を張ります。

そこへ、石田三成(『真田丸』山本耕史、『真田太平記』清水紘治)が7月17日に発した家康の罪状13ヶ条を書き連ねた弾劾状(「秀吉の遺言に背いた家康には非がある」「秀吉の恩を忘れていなければ、秀頼に忠節を誓うべし」)が届きます。
三成からの密書を受けた真田の父子3人は、どちらが勝っても真田家が生き残れるようにと、長男・信幸(後の信之)が徳川方に、父・昌幸と次男・信繁(後の幸村)が豊臣方に別れて戦うことを決断したとされています。

その場所が、陣を張ったという大庵寺にほど近い新町薬師堂。
人目を避けるためにわざわざ、薬師堂を選んだと伝えられていますが、大庵寺が密談の場所という説もあって定かでありません。ただ、大庵寺は帰路、佐野城が完成していなかったため徳川秀忠も宿所としていることから、徳川家の監視の目を盗んで、新町薬師堂という考えが成り立ちます。

「薬師堂の脇を川が流れていた跡が今でも残っており、親子は渡って宇都宮へ、大坂へそれぞれ別の方向に向かったことから『真田父子の別れ橋』として語り継がれています」(地元観光関係者の話)。

これが有名な、「犬伏の別れ」で、池波正太郎原作の『真田太平記』(昭和60年〜61年)でも三谷幸喜のNHK大河ドラマ『真田丸』でも重要なシーンとなっています。

「犬伏」という不思議な地名は古くは「犬臥」と書き、山伏が狒々(ヒヒ=伝説上の動物)を退治した際に連れていた犬が死んだのでこの地に葬ったことが由来とされています。

絹本著色石田三成像

絹本著色石田三成像

親子が別れたホントの場所と理由は!?

【西軍・石田三成に与した】
真田昌幸と石田三成とは姻戚関係。
真田信繁(真田幸村)と大谷吉継(『真田丸』片岡愛之助、『真田太平記』村井国夫)も姻戚関係=信繁の正室が大谷吉継の娘・竹林院(『真田丸』松岡茉優、『真田太平記』中村久美)。

真田昌幸と石田三成の姻戚関係は定かでありませんが、三成の故郷・近江長浜を取材した限りでは、真田昌幸の正室・山手殿(寒松院/『真田丸』高畑淳子、『真田太平記』小山明子)は宇多頼忠の娘。石田三成の正室・皎月院(こうげついん/『真田丸』吉本菜穂子)も宇多頼忠の娘で、昌幸は義理の兄弟となります。ただし、真田昌幸の正室・山手殿の出自には諸説あって定かでありません。

【東軍・徳川家康に与した】
真田信之と徳川四天王のひとり本多忠勝(『真田丸』藤岡弘、『真田太平記』加藤武は姻戚関係=信之の正室が本多忠勝の娘・稲姫(小松姫/『真田丸』吉田羊、『真田太平記』紺野美沙子)で、徳川家康の養女として嫁いでいます。

秀吉の配下だった大谷吉継は、秀吉没後も家康と懇意でしたが、上杉征伐の途中で佐和山城に石田三成を訪ね、家康に反旗を翻すことを知ります。「無謀であり、三成に勝機なし」と諭しますが、聞き入れられず、逆にその熱意にほだされて三成についたと伝えられます。
いずれにしろ、この大谷吉継が三成とともに決起したことは、真田信繁(真田幸村)の意思決定を大きく左右したと思われます。

こうしてみると、戦国乱世を生き抜くために、智将・真田昌幸が親子を分けたというよりも、姻戚関係で必然的に分かれた考えるほうが自然かもしれません。

「犬伏の別れ」では、真田親子3人の協議中、様子を伺った家臣・河原綱家に「終わるまで誰も来るなと命じたはずだ」と、下駄を投げつけ、顔面に下駄を受けた綱家は歯が欠けたという逸話が残されています。
この逸話からは、かなり切迫した話し合いが行なわれていたとも考えられます。

そんなディテールの残される話ですが、佐野市生涯学習課は「(真田親子の別れが)犬伏とされるのはあくまで『真田太平記』などの小説がルーツ。古文書では確認できず、伝承の域を出ません」とキッパリ。

「表裏比興(ひょうりひきょう)の者」といわれた真田昌幸の智将ぶりを印象づけるため、小説家が作った逸話なのかもしれません。

新町薬師堂は北関東最大の前方後円墳・米山古墳の西側に鎮座

新町薬師堂は北関東最大の前方後円墳・米山古墳の西側に鎮座

 

大庵寺 DATA

名称 大庵寺
所在地 佐野市犬伏下町2285
料金 参詣自由
ドライブで 東北自動車道佐野スマートICから2.5km(5分)。佐野藤岡ICから5.2km(10分)
駐車場 10台(大庵寺駐車場)/無料
問い合わせ 大庵寺TEL:0283-22-6360

 

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