全昌寺

全昌寺

石川県加賀市大聖寺神明町にある曹洞宗の寺が全昌寺(ぜんしょうじ)。大聖寺城主・山口宗永(やまぐちむねなが=山口玄蕃)の帰依を受け、慶長3年(1598年)、山代から大聖寺に移築された禅寺。『奥の細道』の途中、山中温泉に滞在した芭蕉と曽良が加賀路最後の宿とした寺で「庭掃きて出でばや寺に散る柳」の句を残しています。

『奥の細道』途中に芭蕉が泊まった大聖寺の禅寺

全昌寺
五百羅漢

山口宗永は、関ヶ原の合戦で西軍に与し、慶長5年(1600年)、大聖寺城を巡る戦いで東軍・前田利長に敗れ、自刃しています。
山口宗永とその子・山口修弘の墓は全昌寺にあります。

極彩色の釈迦三尊、四天王、十大弟子、五百羅漢など517体は、慶応3年(1867年)、金沢藩、大聖寺藩の奥女中、武士、町人が寄進し京の仏師・山本茂祐により作られたもの。

元禄2年8月6日(1689年9月19日)、『奥の細道』途中の松尾芭蕉は、全昌寺に1泊。
宿泊した部屋が復元され、境内には「庭掃て出ばや寺に散柳」の句碑も立っています。
曽良は、胃痛で旅路を離れ、伊勢長島の親類の家で静養することになり、山中温泉で別れています。
芭蕉は山中温泉で宿泊した「泉屋」(泉屋に8泊し、主人・久米之助に俳句を指導)の縁で、全昌寺に宿泊することに(全昌寺は、泉屋の菩提寺、住職・月印は泉屋・久米之助の伯父)。
曾良も前の晩この寺に泊まり「終宵(よもすがら) 秋風聞や うらの山」の句を残し、芭蕉もい一宿一飯のお礼に、柳を掃いてから出発したいと「庭掃いて 出でばや寺に 散る柳」と詠んでいます

「大聖持の城外、全昌寺と云寺に泊る。猶(なお)かゝ(加賀)の地也。曾良も前の夜此寺に泊て、 終宵(よもすから)秋風聞やうらの山と残ス。一夜の隔(へたて)、千里におなし。我も秋風を聴て衆寮に臥。明ほのゝ空ちかう読経(どきょう)聞ゆるに、板鐘(しょうばん)鳴て食堂(じきどう)に入。けふは越前の国へと心早卒(そうそつ)にして、堂下(どうか)に下ルを、若き僧共紙硯をかゝへて、階(きさはし)のもとまて追来ル。折節(おりふし)庭中(ていちゅう)の柳散れは、庭掃て出はや寺に散柳 とりあへぬ一句草鞋なから書捨ツ。」(『奥の細道』)

全昌寺
芭蕉と曽良の句碑
全昌寺
名称 全昌寺/ぜんしょうじ
所在地 石川県加賀市大聖寺神明町1
関連HP 加賀市観光交流機構公式ホームページ
電車・バスで JR大聖寺駅から徒歩10分
ドライブで 北陸自動車道加賀ICから約3km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 全昌寺 TEL:050-3542-1453
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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