主産地は志摩、伊豆、房総! 伊勢で穫れないのに、なぜ伊勢海老!?

南伊豆町で10月〜11月に開催されるのが関東では有名な『伊勢海老まつり』。その伊勢海老ですが、2022年度の農林水産省の確定値を見ると漁獲高TOPは、千葉県(南房総)。2位が伊勢(旧伊勢国)のある三重県です。ところが三重県内の主産地は伊勢国ではなくお隣の志摩国。なぜ志摩海老ではなく、伊勢海老なのでしょう?

伊勢海老の名は、江戸時代の伊勢参宮ブームが生んだ!?

伊勢海老というと、一般的に伊勢の海で穫れたからと思われがちですが、実際には三重県伊勢地方ではほとんど漁獲がありません。
伊勢湾に面した伊勢は砂浜の海岸が多く、貝類は穫れても海老は産しないのです。
伊勢志摩(伊勢志摩国立公園)だから伊勢海老という人もいますが、伊勢海老という名が起こった室町時代末期には、伊勢国と志摩国に分かれていましたから、それはあり得ません。

天正10年(1582年)には、伊勢国司・北畠信雄が荷坂峠を境に伊勢国と志摩国の国境を確定。
伊勢海老の穫れる現在の三重県の鳥羽市・志摩市のみが志摩国となっています。
本来なら、志摩海老なのですが(実際にそうした呼称がありました)、江戸時代、伊勢参宮で賑わいを見せ、一大商業地として発展した伊勢には多くの商人が集結していました。
関東では金貨幣、関西では銀貨幣が価格の単位として慣習的に使用されていましたが、全国から伊勢参りの人が集める伊勢神宮社前では金本位制と銀本位制の両方に対応、活気あふれる商人町を形成していました。

伊勢参宮の人々のうち、大店の主人など富裕層には志摩で産する志摩海老を提供、さらには流通をも担ったので、「伊勢の海老」というイメージができあがったのだと推測されます。

磯で穫れるので磯海老だったのが伊勢海老に転じたという可能性もありますが、江戸時代には伊勢海老という名が定着していることからしても、『お蔭参り』(おかげまいり)に代表される、伊勢詣での集団移動が生み出した名という可能性が大。

江戸の武家の正月飾りに重用されたのは鎌倉で産する鎌倉海老だったので、まだまだ伊勢の海老、鎌倉の海老という産地名を冠していた時代だったこともわかります。

温暖化による「磯焼け」で三重県は漁獲高激減!

本来は志摩の海で穫れるので志摩海老のはず

目下、日本一の伊勢海老の産地、千葉県(水産課)によると、伊勢海老は南房総市、鴨川市、勝浦市、御宿町、いすみ市と房総半島の沿岸で揚がり、全国首位となったのが2020年頃から。
実は温暖化の影響で、近年、三重県志摩地方の伊勢海老漁が大不漁なのです。

かつては水揚げ日本一を誇った志摩市・和具漁港の漁獲量は、2016年には年間40tでしたが、2021年はわずか7tまで減少(5年間で6分の1近くまで減少)。
そのため、旅館で出る伊勢海老の時価も倍に。
原因を探ると温暖化による「磯焼け」だと判明したのです。

「東北の漁師が伊勢海老の網を譲ってくれといってきた」というのは、笑い話ではありません。
福島県いわき市では、以前は穫れなかった伊勢海老が網にかかるようになり、「磐城イセエビ」としてブランド化(サンマの漁獲量が激減したので「磐城イセエビ」に転身)。
漁師が志摩に網を求めたのです。

この先、伊勢海老は、房総海老、そして将来は磐城海老(磐城伊勢海老)、ひょっとしたら三陸海老(実際に三陸でも見つかっています)などと呼ばれ、「へえー、昔は伊勢でも穫れたんだ」なんて話すようになるのかもしれません。

ブランド化した「磐城イセエビ」は豊洲市場にも登場
主産地は志摩、伊豆、房総! 伊勢で穫れないのに、なぜ伊勢海老!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

よく読まれている記事

こちらもどうぞ