らかん児童公園

らかん児童公園

岩手県盛岡市茶畑にある公園がらかん児童公園。何気なく歩いていると単なる児童公園のような雰囲気なので通り過ごしてしまいそうになりますが、公園を取り囲むように高さ1~2mの十六羅漢像計16体と五智如来像5体の計21体があるが並んでいるのです。ここは明治の神仏分離で廃寺となった宗龍寺の跡なのです。

十六羅漢と五智如来の石造が鎮座

らかん児童公園

大慈寺町にある祇陀寺(ぎだじ/曹洞宗)の末寺・宗龍寺(そうりゅうじ)が、かつてあった場所。
まさに知られざる石仏群といった感じです。

石仏の石材は飯岡山から切り出し、盛岡藩御用の石工7人が3年がかりで荒刻みを行ない、北上川を舟にのせて加工現場の宗龍寺境内に運び入れています。

盛岡藩では、元禄、宝暦、天明、天保の「四大飢饉」で多数の餓死者が出ていますが、祇陀寺14世の天然和尚が死者の供養のため浄財を集め、幕末の嘉永2年(1849年)に完成したもの。

宗龍寺は明治初年の神仏分離、廃仏毀釈が荒波で廃寺となり、明治17年の盛岡の大火で往時の堂宇を焼失。
藩御用の石工の見事な彫りの石仏だけが往時を伝えているのです。

天明の飢饉当時、盛岡藩の人口は35万人。
この飢饉で餓死者は4万を超えたというからその惨状が偲ばれます。
宝暦5年(1755年)の低温被害がもたらした飢饉でも同様に4万以上の餓死者が出ていることから、自然の変化に大きな影響を受けた江戸時代の庶民の労苦がよくわかります。

ちなみに、盛岡藩では、慶長5年(1600年)〜明治2年までの269年間で、凶作が飢饉となった年は17回と、16年に一度の割合で人々は飢えに苦しんだことに。
とくに元禄、宝暦、天明、天保の飢饉は甚大で、「四大飢饉」といわれています。
子供たちがのどかに遊ぶ児童公園ですが、石仏群(十六羅漢像と五智如来像)は、そんな飢饉の歴史を今に伝える、遺構にもなっています。

らかん児童公園
らかん児童公園
名称 らかん児童公園/らかんじどうこうえん
所在地 岩手県盛岡市茶畑2-1
関連HP 盛岡市公式ホームページ
電車・バスで JR盛岡駅から岩手県交通バス盛岡城下町線・あさ開行きで16分、終点下車、徒歩5分
ドライブで 東北自動車道盛岡南IC、盛岡ICから約8.5km
問い合わせ 盛岡市教育委員会歴史文化課 TEL:019-639-9067
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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