なぜJR東日本バスでなく、JRバス関東、JRバス東北に分割!?

JRバス関東

国鉄が分割民営化した昭和62年4月1日、現在のJR東日本、JR東海、JR西日本などが誕生していますが、同時につばめマークの「国鉄バス」も分割民営化され、JR北海道バス、JRバス東北、JRバス関東、JR東海バス、西日本JRバス、JRバス中国、JRバス四国、JR九州バスに分かれていますが、鉄道の分割エリアとはなぜか不一致です。

JRバス各社の前身は国鉄の地方自動車部

JRバス関東
高速バスに活路を見出しています

鉄道会社と一致しているのは、北海道、東海、四国、九州で、JR東日本管内にはJRバス東北、JRバス関東、JR西日本管内には西日本JRバス、JRバス中国に分かれています。
よく見ると西日本JRバスとJRよりも先にエリア名となる異色の会社ですが、JR西日本管内全域をカバーしていないことを強調した会社名ということがわかります。

なぜ鉄道会社のエリアと、バス会社のエリアが不一致なのでしょうか。
実は国鉄時代の「地方自動車部」の存在が原因です。
国鉄時代の鉄道は各地の鉄道管理局に分かれていましたが、トラック輸送やバス(自動車事業)は地方自動車部の管理下で運行されていました。

しかも公共事業だったため、民営事業の圧迫を避けるために、鉄道予定線の先行、鉄道線の代行、鉄道線の培養、鉄道線の短絡などを目的に、さらに高速バスは鉄道線の補完事業として運営されていました。

たとえば現在もJRバス東北が運行する十和田湖北線、十和田湖南線は、「鉄道線の培養」を目的に昭和9年8月5日、省営バス十和田線として運行がスタート、奥入瀬渓流を走る人気路線です。

霧ヶ峰などビーナスラインを走る下諏訪駅からの和田峠南線、上諏訪駅からの霧ヶ峰線は、「鉄道線の短絡」という目的で運行されていました(昭和8年に運行開始)。

公共事業で、しかも地方自動車部制という民営化にはネックとなるような限られた条件でのバス事業を、民営化にあたって、シンプルに地方自動車部をそのまま会社にしたために鉄道会社との不一致が生まれたのです。

JR発足時(昭和62年4月1日時点)の会社名

  • 北海道地方自動車部→JR北海道自動車事業部
  • 東北地方自動車部→JR東日本東北自動車事業部
  • 関東地方自動車局→JR東日本関東自動車事業部
  • 中部地方自動車局→JR東海自動車事業部
  • 近畿地方自動車局→JR西日本近畿自動車事業部
  • 中国地方自動車局→JR西日本中国自動車事業部
  • 四国総局自動車管理室→JR四国自動車事業部
  • 九州地方自動車部→JR九州自動車事業部

昭和63年4月1日、 JR東日本・JR東海・JR西日本の自動車部門を分離・子会社化

  • JR東日本東北自動車事業部→ジェイアールバス東北株式会社
  • JR東日本関東自動車事業部→ジェイアールバス関東株式会社
  • JR東海自動車事業部→ジェイアール東海バス株式会社
  • JR西日本近畿自動車事業部→西日本ジェイアールバス株式会社
  • JR西日本中国自動車事業部→中国ジェイアールバス株式会社

こうしてJRバス各社は、国鉄時代の地方自動車部のエリア分けを残しながら、現在に至っているのです。
さらに、鉄道予定線の先行、鉄道線の代行、鉄道線の培養、鉄道線の短絡、鉄道線の補完事業という伝統を活かし、高速バスや都市間輸送などに活路を見出しています。

十和田湖、霧ヶ峰、高峰温泉、草津温泉など観光地を走るJRバスは、「鉄道線の培養」を目的に運行が始まったものですが(草津温泉へは吾妻線が開業以前には「鉄道線の先行」、開業後は「鉄道線の培養」)、年々利用者が減少し、現在でも走る路線は実に貴重な路線ということになります。

JRバス関東
今や貴重な路線バス、つばめマークも健在!
なぜJR東日本バスでなく、JRバス関東、JRバス東北に分割!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

よく読まれている記事

こちらもどうぞ