香川県仲多度郡多度津町、かつて(江戸時代中期以降)金毘羅参りの玄関港だったのが多度津港。港に残される鉄道連絡船時代の遺構が、多度津港旧外港東防波堤。明治時代まで香川県最大の港として発展、明治44年に港湾拡張の際に築かれたのが花崗岩を積んだ外港東防波堤で、土木学会推奨土木遺産にもなっています。
尾道と結んだ鉄道連絡船「多尾連絡船」も就航していた!
あまり知られていませんが多度津港は宇高連絡船(宇野〜高松)が就航する明治43年6月12日以前には、本州と四国を結ぶ鉄道連絡船「多尾連絡船」が就航していました。
山陽本線の前身となる山陽鉄道傘下の山陽汽船商社が運航していたもので、この「多尾連絡船」と、岡山港〜高松港が鉄道連絡船として機能していました。
明治39年の鉄道国有化で山陽鉄道が鉄道省の所有となってからは、鉄道省の航路として運航されていましたが、宇高連絡船就航前日に最終便の運航が行なわれ、航路は廃止されています。
尾道多度津航路関連遺産として、多度津港旧一文字防波堤、多度津港旧外港西防波堤とともに経済産業省の近代化産業遺産(「鉄道連絡船の歩みを物語る近代化産業遺産群」)にも認定されています。
旧外港東防波堤は、花崗岩の防波堤が200mほど続き、見学が可能。
明治44年の完成時には宇高連絡船が始まり、四国の玄関口は高松へと移りつつあり、防波堤の重要性はすでに失われていました。
明治時代の香川県の最高地価地点は、県都・高松ではなく、実は多度津。
江戸時代〜明治時代には西回り航路の拠点、金比羅参詣の玄関で、しかも「多尾連絡船」があるため、四国の玄関口になっていたのです。
そんな歴史を背景に、実はJR土讃線の起点は多度津駅で、そのルーツは明治22年5月に讃岐鉄道が開業した多度津駅〜琴平駅間。
後に山陽鉄道に移管され、国有化され讃岐線に。
実はこの多度津が、四国鉄道発祥の地で、多度津駅前には「四国鉄道発祥の地」の碑が立っています。
つまり「多尾連絡船」は山陽鉄道の鉄道連絡船だったことになります。
「多尾連絡船」に就航した「児島丸」は、223.5t、鉄道連絡船が多度津、高松を四国側の玄関港にしたのは、当然、金毘羅参りの乗客を期待してのこと。
本州側の起点が尾道港だったのは、山陽鉄道の尾道駅が近いことに加えて、当時尾道が大阪商船の拠点のひとつで大阪〜下関を結ぶ定期便が着岸する港として機能していたからです。
| 【鉄道連絡船の遺構】多度津港旧外港東防波堤 | |
| 名称 | 多度津港旧外港東防波堤/たどつこうきゅうがいこうひがしぼうはてい |
| 所在地 | 香川県仲多度郡多度津町東浜11-8 |
| 関連HP | 多度津町観光協会公式ホームページ |
| 電車・バスで | JR多度津駅から徒歩20分 |
| ドライブで | 高松自動車道善通寺ICから約6km |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |











