旧軽井沢のシンボル的な存在の池が雲場池(くもばのいけ)。避暑地・軽井沢を見出した外国人たちがスワンレイクと呼び習わしたその池から雲場川を上流にたどると、その源流部に泉を見つけます。そこが御膳水です。
「避暑地・軽井沢の夏」の真髄がこの一画に!
雲場池からの川沿いの道は、クレソンが繁茂する雲場川の清流を眺める緑陰の道。
別荘族を気取って散策するにも絶好の散歩道です。
ここを歩かずして「避暑地・軽井沢の夏」に触れることはできません。
そして、その雲場川の源流の泉が御膳水です。
明治11年9月6日、明治天皇が岩倉具視、大隈重信を伴っての北陸・東海道巡幸の際、軽井沢宿本陣(現在の旧軽井沢のメインストリートは中山道軽井沢宿)に宿泊。その料飲に使ったの水ということ、つまりは御膳に供された水ということで、御膳水と名付けられました。
街道時代(江戸時代)にはここを通る北陸など各藩の諸大名にも供された水だとか。
明治初期に軽井沢を避暑地として見出した外国人たちは、この泉を「Hanare Spring」(ハナレスプリング)と呼び、散歩コースに加えたのです。Hanareは離山のこと。Springは泉、湧水です。離山から湧き出す泉とストレートに表現したのです。
現在はホテルオークラチェーンの「ホテル鹿島ノ森」の敷地内になっています。
「ホテルの敷地内ですが、鹿島ノ森散策の道すがら、ゆっくりとご休息ください」(ホテル鹿島ノ森)と、太っ腹。
せっかくだから、少し奮発して、ホテル鹿島ノ森の「メイプルラウンジ」(10:00〜17:00/コーヒー、ミックスベリーサンデー)や、格調高い「コンチネンタルルーム」でランチを。
コンチネンタルランチは、さすが鹿島ノ森の味とうなること請け合いです。
ニッポン旅マガジン MEMO 明治天皇の北陸・東海大巡行
明治になって自由民権運動が全国各地で高まりをみせるとともに、不平士族の反乱なども各地で起きていました。
そういった諸国に平穏を取り戻すため、さらには政情を調査するために明治天皇は積極的に地方へと巡行したのです。
なかでも最長なのが、明治11年の北陸・東海大巡行。
明治11年8月30日に出発し、東京から前橋・軽井沢・長野・新潟・富山・金沢・福井・京都・岐阜・名古屋・静岡を巡って11月9日に帰京する陸路72日間の大旅行でした。
注目は、碓氷峠を越えて信濃路に入っている点。妙高では天然雪氷で天皇を接待しているので、軽井沢でも天然氷を調達したのかもしれません。
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