鹿児島県鹿児島市にある安政元年(1854年)創業の老舗菓子店が明石屋。銘菓「軽羹」(かるかん)の元祖の店として有名です。幕末の薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)は、江戸で播州明石生まれの菓子職人、八島六兵衛をスカウト。それが明石屋のルーツで、特産の自然薯と米粉でつくった菓子が「軽羹」です。
鹿児島銘菓「軽羹」元祖の店
記録に残る「軽羹」(かるかん)の初出は、第3代藩主・島津綱貴(しまづつなたか)が50歳になった際の祝いの席に献上されたもので、元禄12年(1699年)のこと。
以来、島津家では、祝慶事など貴重な日に、「軽羹」は出される「殿さま菓子」だったのです(大河ドラマ『西郷どん』にも登場しています)。
島津斉彬が江戸で、八島六兵衛をスカウトしたのは、滋味のある保存食の研究開発の一環だと推測されていますが、結果として八島六兵衛の生んだ菓子は、藩主も認める銘菓となったのです。
鹿児島で明石屋を起こした八島六兵衛は、特産の自然薯を吟味し、「軽羹」をさらに大成させ、薩摩藩が諸藩への進物などにも使われる御用菓子になったのです。
藩政時代には「殿さま菓子」で、庶民の口に入ることはありませんでしたが、明治の文明開化とともに広まり、今や鹿児島を代表する銘菓に。
その名の由来は諸説ありますが、軽い羊羹というその形を表しているというのが定説です。
原料は自然薯、米粉、砂糖、水のみ。
藩政時代に、薩摩藩は、他藩に比べて奄美大島などから砂糖を潤沢に供給することができたことも、「軽羹」誕生の背景にはありました。
幕末には、貴重品の砂糖は、島津斉彬の集成館事業で築かれた水車館で精製されていたのです。
3年ものをさらに厳選した自然薯を使い、空気をたっぷり含ませて蒸すからしっとり、もっちり感が出るのだとか。
島津家の御用菓子司となった明石屋は、現在7代目・岩田英明さんの代ととなって営業を続けています。
「軽羹饅頭」(かるかんまんじゅう)、餅米の煎り粉を砂糖湯でこね、木箱で作る素朴な祝菓子「煎粉餅」(いこもち)も人気です。
遠来の観光客なら、「煎粉餅」にも注目を。
鹿児島の郷土菓子で、大河ドラマ『西郷どん』にももちろん登場しています。
関東のすあま、名古屋のういろうにも似ていますが、似て非なるものが「煎粉餅」なのです。
明石屋は、本店のほか、中央店、鴨池店、JR鹿児島中央駅店、仙巌園店など支店も多数。
明石屋 | |
名称 | 明石屋/あかしや |
所在地 | 鹿児島県鹿児島市金生町4-16 |
関連HP | 明石屋公式ホームページ |
電車・バスで | 鹿児島市電朝日通電停から徒歩1分 |
ドライブで | 九州自動車道鹿児島北ICから約5km |
駐車場 | 4台/無料 |
問い合わせ | 明石屋 TEL:099-226-0431/AX:099-226-0433 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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