南洲墓地

南洲墓地

鹿児島市の南洲公園にある南洲墓地は、西郷隆盛(西郷南洲)など西南の役での犠牲者の霊が眠る墓地。西郷隆盛の墓を守るかのように桐野利明、篠原国幹(しのはらくにもと)、村田新八、辺見十郎太(へんみじゅうろうた)、別府晋介、桂久武(かつらひさたけ)などの墓が749基建てられています。

西郷隆盛ほか、西南戦争の戦没者が眠る

南洲墓地

墓地の入口西側にある浄光明寺は、島津家初代・島津忠久の薩摩入国の際に建立し、その後に一遍が訪れ、時宗に転じたという名刹。
幕末期の薩英戦争で英国艦隊の砲撃を受け、さらに明治2年の廃仏毀釈で廃寺となっています(明治16年に塔頭・芳林庵の跡に再興)。
現在、南洲公園となる丘一帯は、かつての寺域で、本堂跡が南洲墓地となったもの。

西南戦争後、政府軍は鹿児島県令・岩村通俊(いわむらみちとし)の願いを聞き入れ、西郷隆盛以下40人を浄光明寺の境内に仮埋葬。
明治12年に鹿児島市内に仮葬されていた220余人の遺骨をまとめて、改葬したもの。
明治16年には、さらに薩摩・大隅・日向・豊後などの戦地での戦没者の遺骨も収集され、埋葬されています。

墓石は749基ですが、埋葬されるのは薩軍2023人。
なかには最年少の14歳だった伊地知末吉、初代鹿児島県令・大山綱良も入っています。

墓地入口には「岩村縣令記念碑」 がありますがこれは鹿児島縣令だった岩村通俊が遺体を丁寧に埋葬し、自ら戦死者の墓碑を書いて立てたから。

墓地の西には鹿児島市立西郷南洲顕彰館、東には南洲神社が建っています。

現在の浄光明寺は、明治16年に塔頭・芳林庵跡に再興されたもの。
また、南洲墓地の南東には桜島を眺望する東屋も設けられています。

 

南洲墓地
名称 南洲墓地/なんしゅうぼち
所在地 鹿児島県鹿児島市上竜尾町2-1
関連HP 鹿児島観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR鹿児島中央駅から市営バスで25分、竪馬場通り下車、徒歩5分
ドライブで 九州自動車道鹿児島北ICから約5km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 鹿児島市観光交流局観光振興課 TEL:099-216-1327
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地

2018年7月2日

 

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