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旧街道杉並木

旧街道杉並木

元和年間(1615年~1624年)に、箱根旧街道の美観を考慮して植林されたとも、箱根関所開設時に、川越城主・松平正綱によって設けられたともいわれている並木道が神奈川県箱根町にある旧街道杉並木。東海道では松並木が主体だが、冷涼な気候と箱根権現の参道を意識して日光街道同様に杉を並木に選んだもの。国の史跡。

東海道、箱根越えの旅人を守った並木道

夏の強い日差し、そして冬季の山から吹き下ろす寒風から箱根越えの旅人を守ってくれたのが杉並木。
東海道なのに松ではなく、杉を選んだのは気候的な問題だけでなく、箱根権現(神山に対する山岳信仰と修験道が合体した神仏習合の信仰/現・箱根神社)の参道を意識してのこと。
鎌倉時代、箱根権現、伊豆山権現(現・伊豆山神社)を二所権現と呼び、二所詣の風習が生まれましたが、箱根関所の設置以降、さらに重視された聖地になったのです。

滝廉太郎作曲、鳥居忱作詞の『箱根八里』に「昼猶闇き(ひるなおくらき)杉の並木」と歌われてもいるのも、この旧街道杉並木です。
木の間から芦ノ湖を眺めつつ、往復20分の旧街道散策を楽しみましょう。

箱根町教育委員会が枯れて伐採された杉の年論を測定し、伐採された杉は万治3年(1660年)ごろに植栽されたものだということが判明しています。

神奈川県立恩賜箱根公園前から元箱根にかけての旧道両脇に、樹齢350年〜400年の大杉が400本ほど、約500mに渡って林立しています。
明治37年に箱根湯本と芦ノ湖畔を結ぶ新道建設をする際、並木を伐採売却して工事費の不足を補ったことがあり、切り倒された並木は、松と杉を合わせて、1024本に及んだということです。

残念ながら良好な健康状態の古木は3割ほどで、今後の保護の状況では減少が危惧されています。
そのため、杉根の根接ぎ治療も行なわれています。

元箱根側の入口には日本橋から24番目の一里塚、葭原久保の一里塚(よしわらくぼのいちりづか)がありましたが、現存していません(箱根旧街道で塚が現存するのは畑宿と、箱根西坂の錦田一里塚です)。

ペット同伴に関する規制はありませんが、杉並木保護のため、マナーを守って行動を。

旧街道杉並木
名称 旧街道杉並木/きゅうかいどうすぎなみき
所在地 神奈川県足柄下郡箱根町箱根
関連HP 箱根町観光協会公式ホームページ
電車・バスで 箱根登山鉄道箱根湯本駅から箱根登山バス、伊豆箱根バス箱根町行きで40分、恩賜公園前下車、徒歩1分
ドライブで 小田原厚木道路箱根口ICから約15km
駐車場 恩賜箱根公園駐車場(123台/有料)
問い合わせ 箱根町総合観光案内所 TEL:0460-85-5700/FAX:0460-85-5721
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

箱根関所

元和5年(1619年)頃~明治2年の間、芦ノ湖の湖畔に設置されたのが箱根関所(神奈川県箱根町)。江戸を守る重要な関所として俗にいう「入り鉄砲と出女」を厳しく取り締まったのが箱根関所です。平成19年3月に古文書をもとに京口御門、江戸口御門、足

箱根旧街道一里塚(畑宿)

神奈川県箱根町、寄木細工(よせぎざいく)で知られる旧東海道畑宿(はたじゅく)にある一里塚。畑宿は宿場ではなく立場(たてば)ですが、町並みのはずれに江戸から数えて23里目の一里塚が残されています。街道を挟んで両側に塚が残されていますが、一対の

箱根馬子唄の碑

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恩賜箱根公園

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