箱根駅伝碑

大正9年に東京高等師範(現在の筑波大学)、明治、慶応、早稲田の4校で始まったのが今では正月の恒例となった箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝)。第1回は東京高等師範が優勝していますが、当時は箱根を往復すること以外に詳細な決まりはなく、走るコースも自由だったとか。ゴールの芦ノ湖の湖畔には箱根駅伝碑が立っています。

、「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」(右)と「箱根駅伝栄光の碑・若き力を讃えて」
、「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」(右)と「箱根駅伝栄光の碑・若き力を讃えて」

箱根駅伝ゴール近くに2つの記念碑とブロンズ像が立つ

有名な『箱根駅伝』の正式名称は、東京箱根間往復大学駅伝競走。全国放送され、今や正月のお茶の間には欠かせないテレビ中継にもなっていますが、関東学生陸上競技連盟が主催し、読売新聞社が共催する「関東エリアの大会」。
第1回大会は、アメリカ大陸の継走での横断を実施するための代表選考会というかたちで、大正9年2月14日に開催されました。
東京高等師範学校(現・筑波大学)の学生だった1912年、ストックホルムオリンピックに出場した日本人五輪選手第1号で、その後「マラソンの父」と称されるようになる金栗四三(かなぐりしそう)が、五輪で日本の長距離を強くするために考案したのが駅伝。
明治大学・出口林次郎と早稲田大学・生田喜代治らの尽力で、大正9年に第1回目の東京箱根間往復大学駅伝競走が、「陸の王者」慶応を含めた4大学で開催されました。

翌大正10年には東京農大、法政、中央を加え7大学となり明治が優勝しています。
現在では、シード校、予選勝ち上がりチームをあわせ20校が覇を競い、「山の神」の登場以来、箱根の山登りである5区、山下りである6区は大勢を左右する区間だということで、とくに注目を浴びるようになりました。

箱根駅伝のゴールには、「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」、「駅伝を讃えて」の詩碑、第70回大会を記念して建てられた「箱根駅伝栄光の碑・若き力を讃えて」のブロンズ像があるほか、「箱根駅伝ミュージアム」があります。
「箱根駅伝栄光の碑・若き力を讃えて」の台座には第1回大会からの歴代優勝校の名前と記録が刻まれています。
また、往路のゴール直前の曲がり角には、駅伝広場が設けられ、「襷-TASUKI-」モニュメントが設置されています。

元東洋大学理事長で詩人の勝 承夫(かつよしお)の詩が刻まれる「駅伝を讃えて」
元東洋大学理事長で詩人の勝承夫(かつよしお)の詩が刻まれる「駅伝を讃えて」
箱根駅伝碑
名称 箱根駅伝碑/はこねえきでんひ
所在地 神奈川県足柄下郡箱根町箱根
電車・バスで 箱根登山鉄道箱根湯本駅から箱根登山バス、伊豆箱根バス箱根町行きで40分、終点下車、徒歩1分
ドライブで 小田原厚木道路箱根口ICから約15km
駐車場 箱根駅伝碑前駐車場(16台/無料)
問い合わせ 箱根町総合観光案内所 TEL:0460-85-5700/FAX:0460-85-5721
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
箱根海賊船・箱根町港

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箱根駅伝碑

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