大正12年9月1日の関東大震災と翌年1月の余震によって、田んぼの中から忽然と中世の相模川に架かっていた橋の橋杭が出現。当時の歴史学者・沼田頼輔(ぬまたよりすけ)は、鎌倉時代の1198(建久9)年、源頼朝の重臣・稲毛重成が亡き妻の供養のために架けた橋の橋脚と考えました。国の史跡に指定されています。
頼朝の死因となった落馬事件の橋の杭が現存!?
地震の結果、遺跡が現れるという全国的にも稀なケースで発見された旧相模川橋脚。平成13年から実施された保存整備に伴う調査では、橋脚の北側から土留め遺構も発見されています。
また、地震の液状化現象の痕跡も残されるので、国の史跡に加えて、天然記念物にも指定されています。
液状化現象としては全国初の国指定です。
橋脚に用いられている橋杭はいずれもヒノキ材で、直径は48cm〜69cmという太さで、現存する長さで最大のものは3m65cmでした。
確認されている橋杭は10本で、実際には3m65cm以上の高さがあったと推測されています。
現在の相模川の流路は、旧相模川橋脚の西側1.5kmですが、鎌倉時代には相模川橋脚の位置を流れていたのか、あるいは支流がここを流れていたと考えられます。
旧相模川橋脚の橋杭自体は、保存のために埋め戻されていますが、その上部に出現時の状態を表すレプリカを置いています。
『吾妻鏡』によれば、建久9年(1198年)12月27日、源頼朝は、この橋の竣工式に出席した帰りに、馬から落ちてしまい、それがきっかけで体調を崩し、翌年1月13日に死去したとされています。
旧相模川橋脚 | |
名称 | 旧相模川橋脚/きゅうさがみがわきょうきゃく |
所在地 | 神奈川県茅ヶ崎市下町屋1-3 |
関連HP | 茅ヶ崎市公式ホームページ |
電車・バスで | JR茅ケ崎駅から神奈川中央バス平塚駅行きで、今宿下車、徒歩5分 |
ドライブで | 新湘南バイパス茅ヶ崎西ICからすぐ |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 茅ヶ崎市社会教育課 TEL:0467-82-1111 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag