港一号橋梁(汽車道)

港一号橋梁(汽車道)

明治44年に開通した初代横浜駅(桜木町駅)と新港埠頭を結ぶ臨港線に架橋された橋。現在は汽車道の遊歩道、人道橋として余生を送っています。1907年(明治40年)に、港二号橋梁とともにアメリカン・ブリッジで製作された30フィートの鈑桁橋2連と100フィートのトラス橋からなる鋼トラス橋で、明治42年に当時の鉄道院が架橋。

明治時代後期に架橋されたアメリカン・ブリッジ製のトラス橋

アメリカン・ブリッジ(American Bridge Company)は、アメリカ、ペンシルベニア州ピッツバーグにある会社。
日本の鉄道建設は、明治の初期にはイギリス人チャールズ・ポーナルの主導で敷設されましたが、明治29年に帰国した後は、アメリカン・ブリッジなどの橋を導入しています。
南海本線の紀ノ川橋梁も明治36年、JR肥薩線球磨川第一橋梁も明治39年、長良川鉄道の第五長良川橋梁(東海道本線大井川橋梁を再生)も明治44年のアメリカン・ブリッジ製です。

「日本における貿易立国の原点であり、横浜港発展の歩みを物語る近代化産業遺産」として経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。

港一号橋梁(汽車道)
名称港一号橋梁(汽車道)/みなといちごうきょうりょう(きしゃみち)
Minato No.1 Bridge
所在地神奈川県横浜市西区みなとみらい2・中区新港2
関連HP横浜市観光情報公式サイト
電車・バスでJR桜木町駅から徒歩5分
ドライブで首都高速横羽線みなとみらいランプから約500m
駐車場横浜ワールドポーターズ駐車場(1000台)など周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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